例)卒業式に親友たちと別れるのが名残惜しかったです。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
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感謝 謝罪 告白卒業式: | 今も面影唯一残る、西小の桜の木。旧体育倉庫の脇で、写真をみんなで撮ってもらった思い出があります。当時は卒業式で泣くことは無かったけど、今思うとひとつひとつの行事をみんなで成功させていって、楽しかった思い出しかない。みんなに会いたいな〜……。 |
卒業式: | バス通学の思い出 |
卒業式: | 福生市立福生第七小学校第一回第一番卒業生は誰? |
卒業式: | 最後はみんなで泣いた。泣いてない人は無理矢理泣かした。最高のクライマックスだった。 |
卒業式: | 小学校時代、特に良い思い出はなかったけど、卒業式は感動した。仰げば尊しや校歌を歌った時は本当に感動したし、退場する時に母親と目があって泣きそうになった。入場曲がトトロの風の通り道で、生演奏してもらったんだけ、どそれ以来この曲が大好きになった。6年間の一番最後に担任に怒られたのは、Tだったな。 |
卒業式: | 卒業式友達と別れるのが悲しかったです。 |
卒業式: | 5.6年の卒業式で伴奏しました〜6年のはコロナで短縮になりましたけど楽しかったですよ!!誰も泣いてる人いませんでした |
卒業式: | コロナで練習できなかった。…ラッキー |
卒業式: | 第63回の卒業式で俺が作曲した曲でみんなが入場したのはいい思い出。 |
卒業式: | 平成元年三月二十日。春の日差しが柔らかい日でした。当日の朝、みんなと別れることが非常に寂しいと感じた朝でした。六年生を送る会の後の卒業式。みーちゃんを必死に探した入場の時。その前日の夕方、井上先生から電話があり、一組の教室に行くと、一通の手紙がありました。その手紙を全て読み終わると、井上先生がいました。みーちゃんと会いたい気持ちを分かってくれていた最後の先生でした。今でも実の姉のように慕っていた青木美里さんを探しています。みーちゃんは、いつも自分の面倒を見てくれていました。詳しいことは、フェイスブックに書いてあります。もし、青木美里さんのことをご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけたら幸いです。宜しくお願いします。 |
卒業式: | 私は今中3で最近小学校の卒業式で歌った歌を思いだし中学校で同じ学校で今も同じクラスの同級生と口ずさんでいました。歌詞は割と覚えていたので最初から最後まで歌いたくなり自分が高音か低音どっち歌っていたか気になったし卒業の頃の自分たちは今と変っているのだろうか。あの頃の自分たちはどんな感じだったのだろうか。気になり最近卒業式の日のビデオを見てみました。今見るとみんな声も変わりびっくりするほどみんな成長していました。その時小学6のころは小1の頃とすごい成長したと思っていたけど今日そのビデオを見たときは小学6の私たちはまだこんなに幼かったんだなと思いました。多分そう思ったのは今の自分たちが卒業した後からすごく成長したからなのかなと思いました。今中学校が回りの小学と合併したことにより人間関係が深くなりなつた小のあの平和な感じが消えててゆきなつた小の頃の話題になるとあの頃が懐かしい。戻りたい。などと言っている同級生が私以外にもたくさんいました。(同じクラス内で)それほど平和だったんだな。と思いました。合併しての利点は新しい友達が出来たことです。なつた小メンバーだけでもよかったなと思うときもあるけど合併してよかったのかなともおもいます。今もなつた小での思い出は忘れてなく小学校の頃の話が話題となり会話が弾み楽しく学校生活を送れています。 |
感謝: | 渡邉先生と本間先生と土屋先生と星野先生と伊丹先生に出会えたことに感謝です |
プール: | 屋内プールで校舎の1階にあった。 プールの手前には運動スペースがあって、50本位の登り棒が設置されていた。 |
プール: | 思い出は1年生の時に水着忘れてめっちゃ怒られた事 |
教室: | ベニヤの壁や床だったから指に棘がよく刺さったなぁ。 |
図書室: | それいゆ 今もあの看板はあるのかな? |
プール: | そもそもプールなくて市民プールまで歩いていった |
伝説: | 怒られた時は必ずと言っていいほど前に出てきて謝ってくれる学級委員 |
教室: | 日本間教室ってありましたよね。お作法できる、お母さんの課外授業した記憶があります。 |
体育館: | 体育館なんて洒落た呼び方ではなく「講堂」だった。当時、多動で落ち着きがなく所謂「発達障害児」であった自分は担任の中年女性教師から当然の如く嫌われ、田舎特有のキツいいじめの渦中にあっても完全にスルーされていた。そんな中、初めての「学芸会」。クラスの出し物は「花さかじじい」のお芝居だったが、私は裏方すらやらせてもらえず、練習時も校庭に追い出されていた。発表当日、おそらく保護者なども観に来て賑やかな声を聴きつつ、講堂の裏手の百日紅の木にもたれてひたすら時間を潰した。母には学芸会の話はしなかったので、来る事は無かった。こっそりくすねた小道具の、金の折り紙の貼られた紙の小判をためすすがめつ眺めたりして、ただひたすら長い長い暇を潰した。もたれた埃っぽい壁の背中越しに、大勢の拍手と笑い声が響いていた。風が吹くと頭上からひらひらといくらでも舞い散ちて来る細かなフリルの小さな小さな桃色の花弁を、今も鮮明に覚えている。穏やかな日差しの、良く晴れた日だった。 |