例)卒業式に親友たちと別れるのが名残惜しかったです。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
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恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白卒業式: | 卒業式に丹尾真斗という架空の人物がいたとかいなかったとか |
卒業式: | 卒業式の思い出は、卒業式も終わり教室に帰り、担任の先生から送られた言葉です。「これからの人生、色々なことがあるだろう。・運・鈍・根を送る。」と言われました。今でも時々、思い出します。教室ではクラスメートが名残惜しそうに教室から出ていかなかった。 |
卒業式: | 卒業したら、私を、いじめた人たちと、縁を、切りたいのに、かおり友の会から、同窓会の通知が、来る年に、私を、いじめた人たちの事を、思い出し、イライラして、泣いてしまいます。かおり友の会を、辞めたいです。 |
卒業式: | 私の代は浅草公会堂でやった |
卒業式: | 1番前の席に座って卒業式に参加していた。退場曲は卒業生アンケートで選ばれた、永井真理子の"ZUTTO"。凄く楽しみにしていたのに、1番に退場してしまったので、前奏の間に退場してしまった。歌が全然聴けなかった!退場した後、友達と「歌聴く前に出てしもーたがなー!」って大爆笑した! |
卒業式: | 向陽台で頑張って卒業できて良かったなと思うのと、自分は大人になっていくんだと感じたことぐらいですかね。 |
卒業式: | そうかな? |
卒業式: | 大舘工業高校の前進、花岡工業高校の卒業生です。大舘工業高校になりやがて統合し、廃校になったのは何とも寂しい限りです。卒業式忘れもしない花工の卒業式。初めてお袋が卒業式を見にきてくれた。その式場で各クラスの優等生が秋田県教育委員会から表彰された。その1人に選ばれ母の前で名前を呼ばれその場で「起立」したことは今でもわすれない。母は既に他界したが決して裕福な家庭ではなかったけど、一生懸命応援してくれた。1カ月の授業料は4,000円だった。式が終わり教室に戻ると電気科の1番だった生徒が代表で貰った「優等生」の「表彰状」を持って来てくれた。それを「お袋」はジッと部屋の片隅でみていた。帰るとき「花岡駅」までの道すがらお袋と並んで歩いた事が今でも懐かしい。 |
卒業式: | 担任の先生が生徒の名前を順番に呼ぶのですが、その時に私の名前が飛びました。機転をきかせてバッと立ち上がったのですが耳は真っ赤だったそうです。教室に戻ってからクラスメートに卒業できないのかーとからかわれました。結果的にいい思い出になりましたけれど。先生方にはご迷惑お掛けしっぱなしでした。感謝しています。今はお堅い仕事をしています。あの頃からは想像できませんが。 |
卒業式: | 自分は、最後の卒業生でした。 |
屋上: | タバコ吸った覚えしかないな、理科の先生がうるさくて見つからない様に見張りたたてて、中休みには『カレー』食いにいったよ |
体育館: | 僕が2年生の時に新しい体育館になりました。デカくて綺麗になりました。 |
プール: | 女子の人数も少ない為、当日、女の子の日で参加出来なく見学者が多数出たりした。先生は、見学者に本当に女の子の日なのか?疑う様な発言があり、酷いとおもった、自分は嫌々泳いだけど、青臭い水のせいで、プールから上がった後は体がぬるついて臭くて困った。 |
教室: | 校門までの坂がキツめ。学食で売ってるコロッケを休み時間に食べたら美味しい。自販機近くに空き缶回収ボックスがあったが、皆が無理な使い方をする為よく壊れていた。 |
恋: | 未だに忘れられない |
運動会: | 吉本靖は、走ってる時、ホント、おっせぇーと皆でバカにして笑ってた。嫌われてるのに、よく学校来るなと思った。最近、友達から、カキコミしたと聞いたから、俺も吉本嫌いだから、カキコミした。俺も、吉本の、チンポをトイレで覗いたし、友達から、修学旅行の時に撮った、吉本のチンポを見た。キモチワリーと、思ったし、吉本の、チンポの小ささに、大笑いした。 |
校庭: | 校舎の崖側に生徒園という庭園があって 女子が話すのに格好の場所だった。用務員さんがしていたのかと思うがよく手入れされた園だった。秋には秋桜は咲いていたのを今でも思い出します |
校庭: | サッカー 野球 陸上部が使ってた |
告白: | なんでもっと自信もって好きだって言えなかったのかなぁ。20年経っても後悔してるよ!すげぇ幸せになってるといいなぁ! |
卒業式: | すべり止めの有名私大の合格は決めていたが、“本命”の国立大の二次試験が間近という状況ゆえ、当初は余り感傷的にはならなかった。しかしある一場面がそれを変えるきっかけに…。朝の登校時から粛々と式典への段取りが進められて廊下整列を終えた時に、体調が優れずも証書を授与される(初代)校長先生が横を通られ、我々一人ひとりに『おはよう。今日は卒業おめでとう。』と声を掛けられたのだ。その温かい言葉を境にどんどん“名残惜しく”なった。その上で卒業式では、この3年間の不良振りにも関わらずここまで来れたことへの謝罪と感謝の気持ちや、4月から大学生に相応しい成長を遂げねばとの“決意“から、身が引き締まる思いになった。そして式後にはこのHRをもってクラスメイトが全国の大学に散らばっていく淋しさをも覚えたが、いつか再会して「しっかりやっている姿」を見せられる日が来るまで頑張らねばと思いつつ母校から旅立った。(卒業から28年。まだ5名の仲間と再会できていない。) |