東京都立青梅東高等学校の感謝

懐かしい東京都立青梅東高等学校の記憶を共有するページです。

東京都立青梅東高等学校の感謝

東京都立青梅東高等学校学校時代にお世話になった先生や先輩、同級生などいますよね。その時に言えなかった感謝の気持ち、またその時は素直になれずに言えなかった気持ち、はたまたあの頃にはありがたみが分からなかったけど大人になった今振り返ってみると有難かったと感じる事など。伝わるかわかりませんが、そうした感謝の気持ちを今ここで伝えてみませんか。

東京都立青梅東高等学校
感謝の思い出

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例)大人になった今、あの時先生が叱ってくれた意味がわかりました。 ありがとうございます!










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の感謝での記憶

感謝での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 感謝での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
感謝2020東京オリンピック控え、晴海近辺も近代化?悲しい思いも?まぁ~未来は、明るいかな!
感謝16~18歳迄に自死するつもりでしたが、あなたに出会ったお陰で眠薬を川に流しました。半世紀以上経った今も心の絆が繋がっています。
感謝大人になった今でも、備作魂はしっかり心に残っています
感謝みんないい人ばかりだった 支えてくれてありがとう
感謝英語の中島先生、毎回、熱く授業をしてくださったてしてくださった
感謝大塚先輩は、今でもトラックのうんてんしゅですか
感謝馬場ちゃん、一緒にグッピーに餌をやったね。結婚披露宴に出てくれてありがとう。馬場ちゃんの姓は?
感謝担任だった、高取先生に今更の感謝。先生や大人たちに敬意の示し方もままならなかった私達生徒に、いつも優しく気遣いを示してくれた、高取先生。母親が手術しなくてはいけなくなった時も、個人的な関心を示してくれたことに本当n感謝します。
感謝昭和33年遅生まれです。1年3組、2年3組、3年4組でした。今ご健在かどうか、分かりませんが、1年、2年の時の担任で、地学を教わりました渡辺(康)先生、3年の時の担任で、日本史を教わりました、渡辺(邦)先生、またその他の先生方及び、同級生の皆様、色々ご迷惑をおかけしました。すみません。ありがとうございます。また再会できましたら嬉しいです。
感謝古川せい子さんと出会えて楽しい高校生活が送れました

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
プール女子のプールの時間のあるある 着替え中に可愛い下着自慢笑
プール近くの会社から、まる見えでした
トイレ令和3年頃に洋式が増えたので男子もトイレがしやすい環境になりました
告白麻実ちゃんが大好きでした。今でも好きです。
プールプールは
トイレ中部高校時代のトイレ
教室可愛い人が多くて
運動会最後の運動会で、その映像が、朝のNHKの番組で、流れていました。今もその番組のビデオがあります。
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!
卒業式かおり友の会の会員に、なっています事が、生理的に、ストレスと、なります。


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