所在地や連絡先、偏差値等詳しい最新情報を掲載。みなさまから提供いただいた情報も掲載いたします。
卒業年毎の専用ページです。卒業生同志の交流や、同窓会情報、卒業アルバム、クラス名簿など多数のコンテンツがあります。
同窓会の開催情報です。同窓会情報だけでなく、予定が無くてもやりたいという方でも同窓会ホームページを作成できます。
楠小学校出身の芸能人やスポーツ選手といった有名人、著名人を紹介します。
楠小学校の評価をいくつかのカテゴリにわけて評価をしています。また皆様からの評判も掲載します。
体育館の舞台裏、教室の落書き、理科室の匂いや実験器具等、学校の様々な場所での思い出を共有しましょう。
楠小学校出身の卒業生が現在どこで活躍されているか、みなさんのご意見をもとに掲載しています。
在校当時の懐かしい写真や同窓会写真、今の学校の風景など無料で共有することが出来ます。
偏差値情報を掲載しております。 最新のデータはもちろん過去の偏差値情報も掲載しております。偏差値の推移もご覧いただけます。
学校関するみなさまの様々な意見を掲載しております。まだアンケートに参加いただいていない方は是非ご協力ください。
kusunokisyougakkou
当校卒業生は名古屋市立楠中学校に進学する。
沿革
1907年(明治40年)3月23日 - 如意・味鋺の両尋常小学校の合併により、楠尋常小学校として創立される。旧如意を本校、旧味鋺を仮教場として引き続き使用。
1908年(明治41年)7年 - 校章として、校名の「楠」にちなみ、楠木氏の家紋である「菊水」を模したものを制定する。
1909年(明治42年)4月 - 児童増加に伴い、大字味鋺の西方寺を分教場として借用する。
1910年(明治43年)2月 - 味鋺仮教場の拡張により、西方寺分教場を廃止。
1911年(明治44年)4月 - 西方寺分教場を再開。
1912年(明治45年) - 7月より大字如意神明山9・10番地において新校舎建設を開始するが、同年9月の暴風雨により建設中に全壊する。
1914年(大正3年)1月 - 高等科併設により、楠尋常高等小学校と改称する。
1914年(大正3年)3月 - 新校舎の完成により、旧如意から移転。ただし、旧味鋺は引き続き旧校舎で授業が行われる。
1915年(大正4年)10月26日 - 分教場および仮教場の廃止により、本校舎に統合される。
1941年(昭和16年) - 国民学校令公布に伴い、楠国民学校と改称。また、校舎が大字味鋺字石田2182番地に移転する。
1947年(昭和22年)4月 - 教育基本法公布に伴い、楠小学校と改称。
1955年(昭和30年) - 小牧空港拡張に伴う、国庫負担による校舎防音工事が完成する。
歴代校長
年月は着任を示す
1907年(明治40年)3月 - 水野博夫
1910年(明治43年)9月 - 伊藤景美
1914年(大正3年)4月 - 足立宝一
1917年(大正6年)6月 - 佐藤健次郎
1919年(大正8年)5月 - 渡辺東誉
1923年(大正12年)9月 - 水野小治郎
1925年(大正14年)3月 - 大野録郎
1929年(昭和4年)3月 - 小川要
1930年(昭和5年)5月 - 鈴木錚一
1935年(昭和10年)3月 - 安藤梅次郎
1937年(昭和12年)3月 - 水野茂
1943年(昭和18年)5月 - 白井幸作
1946年(昭和21年)3月 - 松岡豊後
1947年(昭和22年)10月 - 長谷川雅喜
1949年(昭和24年)1月 - 田島惣作
1950年(昭和25年)9月 - 小塚浦吉
1953年(昭和28年)3月 - 酒井育三
2014年(平成26年)4月 - 河合勉
2015年(平成27年)4月 - 浅井孝典
児童数の変遷
『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである。
明治維新により成立した新政府は近代教育機関として小学校を各地に設置することを企図し、従来の寺子屋を全廃する方針を立てたものの果たされず、愛知県においては従来の寺子屋を「義校」の名とし、初等教育機関としての形式を整える方針へと舵を切ることとなった。
春日井郡味鋺村には1873年(明治6年)西方寺境内において味鋺義校が、如意村には同年5月鶏足坊において如意義校がそれぞれ設立された。この2つの義校が名古屋市立楠小学校の前身である。
味鋺義校は翌年4月、隣村の味鋺原村(現春日井市味美)日輪寺に移り、同村との共同による春日井郡第2中学区第53番小学興進学校へと改組された。1876年(明治9年)11月には味鋺村字伊勢山の官有林に興進学校味鋺分校が成った。1880年(明治13年)には味鋺村および味鋺原村が所属していた春日井郡が東西に分割されることとなりそれぞれ所属を違うことになったため、分校は第28番小学味鋺学校として独立することとなった。味鋺学校は1887年(明治20年)4月に学区の再編に伴い如意学校へ併合されたが、翌年7月には如意学校味鋺分校として再び独立している。1892年(明治25年)8月15日、如意学校味鋺分校は味鋺村立味鋺尋常小学校と改称し、名実ともに独立することとなった。1900年(明治33年)には校地を移転し、校舎を新築した。
沿革
1907年(明治40年)3月23日 - 如意・味鋺の両尋常小学校の合併により、楠尋常小学校として創立される。旧如意を本校、旧味鋺を仮教場として引き続き使用。
1908年(明治41年)7年 - 校章として、校名の「楠」にちなみ、楠木氏の家紋である「菊水」を模したものを制定する。
1909年(明治42年)4月 - 児童増加に伴い、大字味鋺の西方寺を分教場として借用する。
1910年(明治43年)2月 - 味鋺仮教場の拡張により、西方寺分教場を廃止。
1911年(明治44年)4月 - 西方寺分教場を再開。
1912年(明治45年) - 7月より大字如意神明山9・10番地において新校舎建設を開始するが、同年9月の暴風雨により建設中に全壊する。
1914年(大正3年)1月 - 高等科併設により、楠尋常高等小学校と改称する。
1914年(大正3年)3月 - 新校舎の完成により、旧如意から移転。ただし、旧味鋺は引き続き旧校舎で授業が行われる。
1915年(大正4年)10月26日 - 分教場および仮教場の廃止により、本校舎に統合される。
1941年(昭和16年) - 国民学校令公布に伴い、楠国民学校と改称。また、校舎が大字味鋺字石田2182番地に移転する。
1947年(昭和22年)4月 - 教育基本法公布に伴い、楠小学校と改称。
1955年(昭和30年) - 小牧空港拡張に伴う、国庫負担による校舎防音工事が完成する。
歴代校長
年月は着任を示す
1907年(明治40年)3月 - 水野博夫
1910年(明治43年)9月 - 伊藤景美
1914年(大正3年)4月 - 足立宝一
1917年(大正6年)6月 - 佐藤健次郎
1919年(大正8年)5月 - 渡辺東誉
1923年(大正12年)9月 - 水野小治郎
1925年(大正14年)3月 - 大野録郎
1929年(昭和4年)3月 - 小川要
1930年(昭和5年)5月 - 鈴木錚一
1935年(昭和10年)3月 - 安藤梅次郎
1937年(昭和12年)3月 - 水野茂
1943年(昭和18年)5月 - 白井幸作
1946年(昭和21年)3月 - 松岡豊後
1947年(昭和22年)10月 - 長谷川雅喜
1949年(昭和24年)1月 - 田島惣作
1950年(昭和25年)9月 - 小塚浦吉
1953年(昭和28年)3月 - 酒井育三
2014年(平成26年)4月 - 河合勉
2015年(平成27年)4月 - 浅井孝典
児童数の変遷
『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである。
wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
※明らかに場所以外に関するの内容、特に学校や生徒への批評や意味不明な投稿は削除させていただきます。
例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
※平仮名は必須ではありません。追記する場合はカッコ書きでお願いします。
皆さんが本サイトで思い出を語り合われたことのある先生方です。覚えている恩師の名前がいらっしゃいましたら、登録をお願いします。登録は各卒業生のページにある[名前をクリックいただくと感謝をやお礼の言葉を述べるページへ遷移します。(現在工事中)]
マスコットは本サイトの様々なコンテンツを利用することで成長していきます。
割れるまで何度もクリック!!
<姉妹サイト紹介>
名古屋市立楠小学校がある
愛知県名古屋市の地域事情