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yodosyougakkou
約51万人の人口を有する四国最大の都市であるが、日本の一地方の最大の都市では唯一の政令指定都市ではない都市である。中四国においては、政令指定都市である広島市・岡山市に次ぐ3番目の人口規模を有する。都市圏人口は、総務省統計局の定義における「松山都市圏」が70万6883人(2015年)、都市雇用圏の「松山都市圏」が64万2841人(2010年)である。松山城を中心に発展して来た旧城下町で、道後温泉で有名な古くからの温泉地であるとともに、俳人正岡子規や種田山頭火また文豪夏目漱石ゆかりの地で、俳句や小説『坊っちゃん』『坂の上の雲』などで知られる文学の街でもある。これら観光資源を背景として、「国際観光温泉文化都市」の指定を受けている。キャッチフレーズは「いで湯と城と文学のまち」。コンパクトシティ構想により、様々な文化施設が集中して立地している。アーケード街の大街道や銀天街、四国唯一の地下街であるまつちかタウン、松山市駅ビルに併設された伊予鉄髙島屋や東急ハンズなどの商業施設、道後温泉、松山城、松山総合公園、愛媛県美術館、坂の上の雲ミュージアム、子規記念博物館、伊予かすり会館、伊丹十三記念館など多様な文化的観光スポットがある。また、スポーツ施設も充実しており、特に松山中央公園には最新設備を導入した坊っちゃんスタジアム、アクアパレットまつやま、愛媛県武道館、多目的競技場などが密集している。なお、市の南部およびベッドタウンである伊予郡砥部町にかけては、とべ動物園やえひめこどもの城、愛媛FCの本拠地であるニンジニアスタジアムを含む愛媛県総合運動公園など広大な県営の施設群もある。近年は都心部を中心に複合商業施設の建設、鉄道や高規格道路の整備が行われ、四国最大都市としての再開発が進んでいる。 本町より望む整備中の堀之内公園。公園の奥には観覧車のある松山市駅が見える(左側に見える山の向こうが中心地の大街道、写真のさらに右側が松山駅方面となる)。 道後方面より望む松山市中心部。中央に見える観覧車のある建物が松山市駅、それより右手に広がるビル街が中心地の大街道。手前に見えるのは松山東高等学校および愛媛大学教育学部附属小・中・養護学校。
沿革
年表
愚陀仏庵
松山城(1906年)
1912年頃の東堀端付近
戦前の大街道商店街
昭和10年夏の甲子園で優勝した松山商業野球部の凱旋パレード
1892年5月 - 伊予鉄道三津~高浜間が開業し、高浜線が全通。
1893年5月 - 伊予鉄道外側(現:松山市駅)~平井河原間が開業。
1895年8月 - 道後鉄道(現:伊予鉄道)が一番町~道後、道後~三津口を開業。
1896年
1月 - 伊予鉄道森松線が開業・全通。
7月 - 南予鉄道(現:伊予鉄道)藤原(現:松山市駅)~郡中間が開業。
1899年10月 - 伊予鉄道平井河原~横河原間が開業し、横河原線が全通。
1909年2月 - 長距離電話が開通。
1904年3月 - ロシア軍俘虜収容所が開設される。
1911年
9月 - 松山電気軌道(現:伊予鉄道)が住吉~本町、札ノ辻~道後、本町~札ノ辻間を開業。
1912年
1月 - 松山ガス(現:四国ガス)がガス供給を開始。
2月 - 松山電気軌道が江ノ口~住吉間を開業。
1913年4月 - 日本赤十字愛媛支部病院(現:松山赤十字病院)が設置される。
1914年11月 - ドイツ軍俘虜収容所が開設される。
1918年8月 - 米騒動が発生し、市内の米穀商などが襲撃される。
1919年4月 - 松山高等学校(愛媛大学の前身校の一つ)が創立される。
1923年4月 - 松山高等商業学校(現:松山大学)が創立される。
1927年
4月 - 鉄道省讃予線(現:予讃線)伊予北条駅~松山駅間が開業。松山機関区(現:JR四国松山運転所)が開設される。
11月 - 伊予鉄道萱町~江ノ口間が廃止となる。
1929年5月 - 日本航空輸送研究所が水上飛行機で大阪~高松~松山で定期航空輸送を開始。
1930年2月 - 讃予線松山駅~南郡中駅(現:伊予市駅)間が開業。
1932年11月 - 日本銀行松山支店が開設される。
1933年7月 - 松山城放火事件により松山城の一部が焼失。
1934年3月 - 省営自動車(国鉄バス、現:JRバス)が四国初の省営自動車線として松山~久万間を運行開始。
1935年
5月 - 愛媛県立図書館が開館。
11月 - 梅津寺遊園地(現:梅津寺公園、2009年3月閉園)が開園。
1936年3月 - 松山郵便局 松山逓信診療所(現:NTT西日本松山病院)が開設される。
1941年
1月 - 神戸税関松山派出所(現:神戸税関松山税関支署)が開所。
3月 - 日本放送協会松山放送局が開局、放送開始。
1943年
5月15日 - 北条鹿島沖合で関西汽船所属の定期旅客船「浦戸丸」(1326トン)が貨物船と衝突して沈没。死者・行方不明者200人以上。
10月 - 松山海軍航空基地(現:松山空港)が使用開始。
11月 - 大蔵省松山財務局(現:財務省四国財務局、後に高松市へ移転)が設置される。
12月 - 松山逓信局が設置される。
1944年
3月 - 農林中央金庫松山出張所(現:農林中央金庫松山営業所)が開設される。
6月 - 丸善石油松山製油所(現:コスモ松山石油)が操業開始。
11月 - 松山海運局(現:四国運輸局愛媛運輸支局)が開設される。
1945年
7月 - 松山大空襲で市街地の大半を焼失。
9月 - 日本医療団愛媛病院(現:愛媛県立中央病院)が設置される。
10月22日 - 米軍第24師団の将兵1万人が梅津寺・三津浜・吉田浜海岸に上陸し、進駐。
11月14日 - 復興院が松山市を戦災都市に指定。
12月1日 - 国立病院松山病院(現:国立病院機構四国がんセンター)が二之丸旧陸軍病院跡に開院。
1946年
2月 - 進駐軍が第91軍政部(6月に高松市に移転)を設置。
5月1日 - 日本国有鉄道が仁堀航路(仁方港~堀江港、1982年航路廃止)を開設。
7月1日 - 進駐軍が愛媛軍政部を設置。
10月6日 - 三越松山支店(現:松山三越)が開店する。
12月1日 - 運輸省航空局高松航空保安事務所松山出張所(現:国土交通省大阪航空局松山空港事務所)が設置される。
12月21日 - 昭和南海地震が発生し、道後温泉の出湯が一時停止する。
1947年
3月20日 - 道後温泉復興祭が開催される。
3月25日 - 運輸省四国鉄道局愛媛自動車事務所(現:四国運輸局愛媛運輸支局)が設置される。
4月1日 - 松山語学専門学校(後の松山外国語短期大学、1960年廃止)が開学。
4月5日 - 初の市長公選が行われ、安井雅一が当選。
4月 - 四国商工局松山出張所(後に県に移管)が開設される。
5月1日 - 松山復興市が開催される。
5月2日 - 愛媛労働基準局が設置される。
5月3日 - 松山地方検察庁が設置される。
9月1日 - 松山労働基準監督署が設置される。
9月22日 - 商工組合中央金庫松山出張所(現:松山支店)が開設される。
1948年
3月7日 - 松山市警察署が設置される。
7月 - 松山市営球場(2003年5月閉鎖)が開場。
10月 - 松山市消防本部(現:松山市消防局)が設置される。
1949年
1月1日 - 松山家庭裁判所が設置される。広島警察管区警備部通信課愛媛県出張所(現:四国管区警察局愛媛県情報通信部)が設置される。
1月22日 - 道後湯之町分離についての住民投票実施され、賛成派勝利する。
4月9日 - 第16回愛媛県議会臨時会が開催され、松山市からの道後湯之町分離案が否決となる。
5月31日 - 旧制の松山高等学校・愛媛師範学校・愛媛青年師範学校・新居浜高等工業学校を母体とし、愛媛大学が発足。
6月1日 - 大蔵省印刷庁松山出張所(現:国立印刷局松山分室)が設置される。松山逓信局が松山郵政局(現:日本郵政四国支社)・四国電波管理局(現:四国総合通信局)などに分離される。
7月7日 - 日本専売公社松山工場(後に日本たばこ産業松山工場となり、2004年に工場閉鎖)が操業開始。
1950年
1月21日 - 松山競輪場が開場。
4月1日 - 国民金融公庫松山支所(現:日本政策金融公庫松山支店)が設置される。
6月1日 - 松山海上保安部が設置される。
12月6日 - 国会で松山国際観光温泉文化都市建設法案が可決成立する。
12月8日 - 警察予備隊松山駐屯地(陸上自衛隊松山駐屯地)が設置される。
1951年
1月19日 - 松山港が港湾法による重要港湾となる。
4月 - 松山市社会福祉協議会が発足。
8月 - 松山港まつりが初開催される。
9月 - 昭和工業松山工場(現:東レ・ファインケミカル松山事業所)が操業開始。
時期不明 - 国際観光温泉文化都市(国際観光文化都市)指定。
1952年
4月 - 松山商科大学短期大学部(現:松山短期大学)が開学。
8月 - 松山青年会議所が発足。工業用水工事が完成。
9月 - 大阪曹達(現:大阪ソーダ)松山工場が操業開始。
1953年
4月 - 水道局が発足。
9月 - 愛媛県立道後動物園(1987年廃止)が開園。
10月 - 南海放送がラジオ放送を開始。
1954年7月 - 松山市警察本部が廃止され、愛媛県警察松山東警察署・松山西警察署となる。
1955年
8月 - 松山城ロープウェイが開業。
11月 - 帝人松山工場(現:帝人松山事業所)が操業開始。
1956年8月 - 自衛隊愛媛地方連絡部(現:自衛隊愛媛地方協力本部)が設置される。
1957年10月 - NHK松山放送局がテレビ放送開始。
1958年
9月 - 四国電力松山発電所(2001年廃止)が営業運転開始。
12月 - 南海放送がテレビ放送を開始。
1960年2月 - レンゴー松山工場が稼動開始。
1961年
4月 - 松山空港に初の民間定期便(大阪国際空港線)が就航。
9月 - 市水道局を公営企業局に改称し、公営事業にガス事業(1998年に四国ガスに譲渡)を追加。
1964年
4月 - ダイエー大街道店が開店。松山東雲短期大学が開学。
9月 - 市内の13農協が合併し、四国最大の農協(松山市農業協同組合)として発足。
1965年
2月 - 市・市住宅協会が松山市初の大規模団地(現:ひばりヶ丘団地)造成工事が竣工。
12月 - 伊予鉄道森松線が廃止となる。
1966年
4月 - 道後財産区を廃止。
8月 - 松山おどり(現:松山まつり)が初開催される。
9月 - 日本製粉松山工場(1993年閉鎖)が操業開始。
10月 - 国立松山病院に四国地方がんセンター(四国がんセンター)が開所。
11月 - 全日空松山沖墜落事故が発生。
1967年
3月 - 松山観光港の利用開始。松山木材工業団地が完成。
1968年
3月 - 松山いづみ(1977年1月閉店)が開店する。
5月 - 松山市戦災復興事業が完工。
11月 - 松山厚生福祉センター落成。
1969年12月 - 愛媛放送(現:テレビ愛媛)が開局。
1970年
3月 - 愛媛県立美術館が開館。
7月 - 市内全地域の小字を廃止。
1971年
1月 - 愛媛県下最長の久谷大橋、重信川に完成。
4月 - 松山市駅前地下街が開業。
7月 - いよてつそごう(現:伊予鉄髙島屋)が開店する。
1972年
4月 - 松山市青少年センターが完成。
6月 - 上一万の交差点に四国初の地下横断歩道が完成。
1973年
3月 - 石手川ダムが完成。
4月 - フジショッピングスクエア駅前店(現:フジグラン松山)が開店する。
6月 - 市之井手浄水場が完成。
11月 - 南清掃工場が完成し、可燃ごみ全ての焼却処理が可能となる。
11月 - 銀天街ショッピングビル「ラブリプラザ」(後の松山サティ、1999年6月閉店)が開店する。
1974年11月 - 松山市中央卸売市場が開場。
1975年
4月 - 松山環状線33号線バイパスが開通。市新庁舎が落成。
11月 - 市消防局新庁舎が落成。
1976年3月 - 斎場が設置される。
1979年10月 - 愛媛県総合運動公園が開園。
1980年10月 - 市役所住民情報オンラインが始動。
1981年
4月 - 松山市立子規記念博物館が開館。
8月 - アメリカのサクラメント市と姉妹都市提携調印。
9月 - 中央卸売水産市場が開場。三津の朝市、109年の歴史に幕を閉じる。
1982年
2月 - エフエム愛媛が開局。
4月 - 松山西清掃工場が開設される。松山環境管理センターが開設される。
1983年12月 - ラフォーレ原宿・松山(2008年1月閉店)が松山いずみ跡に開店する。
1984年
4月 - 日本電気が四国日本電気ソフトウェア(現:NECソリューションイノベータ)を設立し、進出。
10月 - 松山市総合コミュニティセンターが落成。
1985年9月 - 富士通が富士通愛媛情報システムズ(現:富士通四国システムズ)を設立し、進出。
1986年
3月 - 横谷廃棄物最終処分場が完工。国際観光モデル都市に指定される。
4月 - 愛媛県県民文化会館が開館。
1987年8月 - 東消防署が落成。
1988年10月 - 西ドイツのフライブルク市と姉妹都市提携調印。
1989年
4月 - 興居島の給水事業が完成し、全島に給水を開始。
10月 - 松山市考古館が開館。
1991年
4月 - 総合福祉センターが開館。
10月 - 愛媛CATVが開局。
12月 - 松山空港の滑走路2,500m延長完成で、ジャンボジェット機の就航が可能となる。
1992年
4月 - 松山東雲女子大学が開学。
10月 - 伊予テレビ(現:あいテレビ)が開局。
1994年
3月 - 南クリーンセンターが竣工。
7月 - 深刻な水不足により、上水道の夜間断水を実施(平成6年渇水)。
1995年
3月 - 愛媛国際貿易センター(アイテムえひめ)が完成。
4月 - 松山空港に初の国際線定期便(ソウル線)が就航。愛媛朝日テレビが開局。
11月 - ジャスコシティ松山(現:イオンスタイル松山)が開店する。
1996年
4月 - 愛媛県警察松山南警察署が新設される。
7月 - 愛媛県立松山商業高等学校、第78回全国高等学校野球選手権大会で優勝。
1997年
2月 - 松山自動車道川内IC~伊予IC間が開通。
4月 - 市がごみの分別収集を開始。
1998年
4月 - 市保健所が業務開始。
8月 - 俳句甲子園が初開催される。
2000年
4月 - 中核市に移行。
5月 - 松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)が完成。
8月 - ショッピングセンタGETが松山サティ跡に開店する。
2001年
3月 - 芸予地震が発生し、震度5強を観測。
10月 - 伊予鉄道がディーゼル機関による坊っちゃん列車の運行を開始。
2003年
6月 - 富士通コミュニケーションサービス松山サポートセンターが開設される。
12月 - もしもしホットライン(現:りらいあコミュニケーションズ)松山センターが開設される。
2004年5月 - 大韓民国の平沢市と姉妹都市提携調印。
2006年
5月 - ジョー・プラがダイエー南松山店跡に開店する。
12月 - 富士火災海上保険中央営業事務センター(現:AIG損害保険松山ビジネスセンター)が業務開始。
2007年
3月 - ベネフィット・ワン松山カスタマーセンターが業務開始。
4月 - 坂の上の雲ミュージアムが開館。
7月 - ブリッジインターナショナル松山事業所が操業開始。
2008年3月 - サイボウズが松山オフィスが業務開始。
2009年2月 - 「響け!!言霊“ことばのがっしょう”群読コンクール」開始(当時は「響け!!言霊“ことばのがっしょう”コンクール」)
2011年
5月 - パソナテック松山BPOセンターが操業開始。
6月 - 四国電力の原子力本部が本店から松山市に移転する。
2013年
4月 - 堀江港にまつやま・ほりえ海の駅「うみてらす」がオープン。
9月 - KDDIエボルバ松山センターが開設される。
12月 - 西クリーンセンターが竣工。
2014年7月 - JR四国が四国初の本格的観光列車・伊予灘ものがたりの運行を開始。
2015年8月 - AEL MATSUYAMAがラフォーレ原宿・松山跡に開店する。
2016年
4月 - 市教育研修センターが開所。
10月 - NTTマーケティングアクト松山総合アウトソーシングセンタが開所。
2017年4月 - 人間環境大学松山キャンパスが設置される。
市域の変遷
市制施行以前の歴史については「温泉郡」「道後温泉」および「松山城 (伊予国)」を参照
1889年 - 市制施行。温泉郡東雲町、喜与町、北歩行町、中歩行町、南歩行町、鮒屋町、御宝町、玉川町、北京町、南京町、北八坂町、南八坂町、永木町、唐人町一 - 三丁目、北夷子町、南夷子町、河原町、立花町、堀内町、豊坂町一・二丁目、柳井町、榎町、小唐人町一 - 三丁目、湊町一 - 四丁目、千船町、一番町、二番町、三番町、弁天町、久保町、春日町の一部、南堀端町、新玉町、花園町一・二丁目、西町、末広町一・二丁目、本町一 - 五丁目、出淵町一・二丁目、江戸町、西堀端町、宮古町、紙屋町、萱町一 - 七丁目、松前町一 - 五丁目、魚町一 - 五丁目、鍛冶屋町、常盤町、三津口町、府中町一 - 四丁目、木屋町一 - 五丁目、清水町、道後町、傘屋町、新町一・二丁目、鉄砲町、水口町、杉谷町、弓町、矢矧町、琢町、三春町、通町、一万町の一部、中村の一部、味酒村の一部、立花村の一部、持田村の一部を統合し松山市とした。
1908年 - 朝美村・雄群村・素鵞村・道後村の各一部を編入。
1923年 - 道後村の一部を編入。
1926年 - 朝美村・雄群村・素鵞村・御幸村を編入。
1932年 - 道後湯之町の一部を編入。
1940年 - 三津浜町・和気村・久枝村・堀江村・潮見村・味生村・桑原村を編入。
1944年 - 道後湯之町・生石村・垣生村を編入。
1954年 - 興居島村、余土村を編入。
1955年 - 久米村・湯山村・伊台村・五明村を編入。
1959年 - 浮穴村を編入。
1961年 - 小野村を編入。
1962年 - 石井村を編入。
1968年 - 久谷村を編入。
2005年 - 北条市、中島町を編入。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
※明らかに場所以外に関するの内容、特に学校や生徒への批評や意味不明な投稿は削除させていただきます。
例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
※平仮名は必須ではありません。追記する場合はカッコ書きでお願いします。
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松山市立余土小学校がある
愛媛県松山市の地域事情