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1872年(明治5年)8月の学制により設置が認可され、同年10月に開校した「小林郷学」を起源とする。現校名となったのは1950年(昭和25年)。2017年(平成29年)に創立145周年を迎えた。校歌1955年(昭和30年)に制定。作詞は長嶺宏、作曲は石田良男による(両者ともに当時の宮崎大学の教員)。校区「西町一区、西町二区、西町三区、緑町区、仲町区、種子田区、坂元区、上町区、上町北区、上町東区(並松添、西の原南を除く)、上町西区、上町中区、南真方区、南真方東区、南真方西区、真方一区、真方二区(梅田、西梅田、石あみだ、年神、中間、長者、山宮、上二原、川原田)、真方三区(堂山、上堂山、南堂山、萩谷、下萩谷、南堂山、中山宮、松ノ元)」。中学校区は小林市立小林中学校。
沿革
前史
1868年(明治元年)頃 - 「学問所」が開設され、小林郷の有志および武士の子弟への教育が行われる。
後に「文行堂」に改称。
本史
1872年(明治5年)
8月 - 学制により、「小林郷学」(小学校)の設置が認可される。
10月28日 - 旧地頭仮屋(円岳寺跡)に開校。生徒数52名でのスタート。
1876年(明治9年)11月 - 真方(浄信寺の位置)に校舎を新築。
1978年(明治11年)- 西南戦争により、約1年間の休校を余儀なくされる。校舎は銃器製造所として使用された。
1880年(明治13年)4月 - 細野小学校を統合の上、大字・細野に校舎を新築し、移転を完了。 真方には「小林北小学校」を設置。
1882年(明治15年)- 十日町分教場を設置。
1883年(明治16年)- 小林郷学と小林北小学校を統合の上、「小林小学校」とし、大字・細野184-1(現在地)に移転。
1885年(明治18年)3月 - 十日町分教場が水落に移転。
1886年(明治19年)- 小学校令により「尋常小林小学校」に改称。十日町分教場が簡易小学校として独立。
後に「小林尋常小学校」に改称。
1892年(明治25年)- 高等科を併置の上、「小林尋常高等小学校」に改称。
1898年(明治31年)12月 - 木浦木分教場を設置。
1907年(明治40年)6月 - 小林女子尋常高等小学校が設置されたため、女児を分離。これにより、男女別学が実施される。
1908年(明治41年)4月 - 木浦木分教場が分離の上、木浦木尋常高等小学校として独立。
1916年(大正5年)4月 - 小林女子尋常高等小学校に補修科が設置される(宮崎県立小林高等女学校の起源)。
1922年(大正11年)3月 - 小林女子尋常高等小学校を統合し、男女共学を再開。木浦木尋常高等小学校を統合し、再び木浦木分教場とする。
1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令の施行により、「小林町小林国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
1946年(昭和21年)9月 - 赤松分校を設置。
1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、国民学校初等科を改組し、「小林町立小林小学校」に改称。
国民学校高等科を改組し、新制中学校「小林町立小林中学校」を併置。
1949年(昭和24年)3月 - 小林町立小林小学校を第一から第四までの4校に分離。
「小林町立第一小学校」
「小林町立第二小学校」- 旧・宮崎県立小林高等女学校跡地(現・小林市立南小学校校地)
「小林町立第三小学校」- 緑ヶ丘(現・小林市立小林中学校校地)
「小林町立第四小学校」- 現・宮崎県小林総合庁舎
1950年(昭和25年)
4月1日 - 小林市の発足(小林町の市制施行)により、「小林市立第一小学校」に改称。
8月6日 - 小林市立第四小学校を統合し、「小林市立小林小学校」(現校名)に改称。
1952年(昭和27年)- 小林市立第三小学校を統合(この後、第三小学校跡地には小林中学校が移転)。
1954年(昭和29年)9月 - 校章・校帽・バッチを小林尋常高等小学校時代のものに戻す。
1955年(昭和30年)3月 - 校歌を制定。
1965年(昭和40年)4月 - 木浦木分校が小林市立木浦木小学校として独立。
1967年(昭和42年)3月 - 赤松分校を廃止。
1972年(昭和47年)12月 - 創立100周年記念式典を挙行。
1976年(昭和51年)
3月 - 屋内運動場(体育館)が完成。
4月 - 小林市立木浦木小学校を統合。
1989年(平成元年)10月 - 小林小音頭が完成。
1990年(平成2年)12月 - 学校の花をキンモクセイに、学校の木をクスノキに決定。
1991年(平成3年)6月 - 小林市出身で文部政務次官の中山成彬が視察のため来校。
1993年(平成5年)11月 - 第1回小林小祭りを開催。
2005年(平成17年)4月1日 - 2学期制を導入。
2006年(平成18年)1月 - 北校舎が完成。
2007年(平成19年)1月 - 南校舎が完成。
2012年(平成24年)10月 - 新燃岳噴火対策として、各教室に空調設備を設置。wikipediaより
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例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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