新潟県立長岡高等学校越路分校のトイレ
懐かしい新潟県立長岡高等学校越路分校の記憶を共有するページです。 新潟県立長岡高等学校越路分校のトイレでの今でも忘れられない思い出をつづってくださいあの頃の懐かしい思い出をぜび皆さんと共有してください。例えばトイレにあった不思議なものや風景、噂になっていた怖い話など教えてください。新潟県立長岡高等学校越路分校
トイレの思い出
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例)夜になるとトイレにお化けが出るといううわさがありました。 |
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その他の思い出ページものぞいてみてください。
懐かしの光景・思い出
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
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あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
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昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白他の高校のトイレでの記憶
トイレでの記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 トイレでの一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。トイレ: | 4F女子トイレの奥から3番目、ここでわたしの息子は生を受けました。 |
トイレ: | トイレ掃除は教育の一環で徹底的に教えこまれる。来たときよりもキレイにすることに誇りを感じるね。 |
トイレ: | トイレのドアノブが外れて閉じ込められた |
トイレ: | いじめがあった |
トイレ: | アンモニアで涙が出た |
トイレ: | 古~い成田闘争のポスターが貼られたまんまになってた。 |
トイレ: | 鏡なかった |
トイレ: | でるにゃ |
トイレ: | 昔の校舎は「トイレ」というより汲み取り式の「便所」で、何故か決まった個室(大) の中に靴下が落ちていた。休み時間、「便所」に幾度に裸足になる奴がいて「ソイツじゃないか?」と噂になった。ソイツだった。まさかとは思ったが、どうやら用を足したあと自分の履いてた「靴下」を「トイレットペーパー」の代わりに使っていたそうだ。ソイツのクラスメイトはソイツの事を陰で「クソシタ・クツシタ」と呼び気持ち悪がり、卒業アルバムには「オェ!」と書かれていた。 |
トイレ: | プレハブ校舎のトイレは、どんなのでしたっけ?覚えている人は教えてください。 |
高校での他の場所の記憶
他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。恋: | 好きな人が同じクラスだった。 |
プール: | あ |
告白: | 昭和42年3月卒業です。初恋の彼、丸子公園で デート。愛と死をみつめての映画を一緒に見に行きましたね。大好きでした。夜間の大学へ行くからと 突然別人のようになった彼。もう一度だけ会いたい。会って本当の理由を教えてください。 |
怪談: | 眉毛を剃ってきた奴に先生が「どうしてん」と聞いたら「寝てる間に友だちに剃られた」。そんな筈ないやろ。 |
卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、私と、同級生の殆どの人たちが、今頃、私と、違って、女優の芦田愛菜さん見たいに、立派に、なってるでしょうね。私を、いじめました人たちや昭和45年生まれのまだ、 50歳に、なってない人たちの殆どの人たちが、私と、違って、女優の芦田愛菜さん見たいに、立派に、なってるでしょうね。私に、とっては、かおり友の会は、親戚見たいな物だと、思いますけど、私は、かおり友の会の皆様と、縁を、切りたいと、思います。私は、同級生の皆様に、とっては、親戚のおばさん見たいな感じなだけで、私だけ、女優の芦田愛菜さん見たいに、立派に、なれず、イライラして、ネガティブ思考に、なり、泣いてしまいます事が、よく、ありますからです。 |
下駄箱: | 上履きが便所スリッパみたいなやつだった気が。パタパタ走ると怒られていた |
卒業式: | 悲しく泣いた。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
教室: | 冬はストーブ❗️ |
告白: | 私16歳彼女17歳の時淡い恋でした |
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