例)下駄箱にラブレターこっそり入れました。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白下駄箱: | 1年の時、自分の靴箱が分からなくて泣きそうになってた!!w |
下駄箱: | マットの青いとこと赤いとこを踏んだら負けゲーム |
下駄箱: | 昇降口上部のステンドグラスに教科書でならう話の絵が入っていてきれいだった。二人は仲良しのカエルがかわいかった |
下駄箱: | 水泳部の顧問がイケメンマッチョでプレイボーイとして有名だった。水泳部の顧問の先祖は人々を斬りつけていた武将だった。 |
下駄箱: | 誰かに書くつもりだった。 |
下駄箱: | 学年でどのクラスよりも綺麗・揃えるをしてた |
下駄箱: | 砂埃やばいし、汚い。掃除大変すぎる。 |
下駄箱: | 2回告白しました。 |
下駄箱: | モッピーくん |
下駄箱: | 下駄箱か~好きな人が傍にあったらな~と思いきや、周りはむさ苦しい男ばかりと記憶しています。 |
給食: | 1965.3? 学校給食始まる それまでは、弁当持参 冬は、弁当が冷たいので当番がみんなの弁当を集めて給食のおばちゃんが全校生の弁当を蒸し器で温めてくれた…懐かしい |
教室: | O先生が担任の教室で、その先生自身が書いた掲示物の「展」が誤字ってましたねえ |
プール: | 昭和53年卒業生です。 通学しているころはプールがなく、学校から徒歩15分ほどの市営中野プールまで、学年ごとに移動しての授業。 中学二年の夏に引っ越したので、その後の状況はさっぱりわかりませんが、今はプールもあるのですねぇ。狭い敷地なので屋上に作ったわけですね。 |
プール: | プール・・・虫が浮いてる(泣) |
教室: | 机は二つ続きで、上の蓋がガタガタ外れ椅子も高低差あってちょうど良い高さを合わせるのは大変だったよね。隅の方には先生の机と足踏みオルガンが置いてあった黒板はまさに「黒」でひびが入ってて光って見にくかったねー。 |
体育館: | 講堂 懐かしいですね ステージくぐっていけたり 上に登って観客席を一望できたり とても楽しい思い出ばかりです 幼稚園の頃に小学校の学芸会をみんなで見に行ったり そのすきに抜け出して幼稚園の職員室で煮ていた餡子をなめて怒られたり 思い出が沢山ありすぎて・・・ 廃校になったのはとてもさみしいですが これも時代の流れとあきらめるしかありませんね |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
飼育小屋: | クッキーとハムは本当に亡くなりました、とても悲しいです、中庭の石のところに埋められています |
校庭: | 現小6です!(2016) どんぐりの木が、完全になくなったゃったー(泣) 二宮金次郎の本には、漢字しか書かれてなかった(のぞきました)笑 |
保健室: | 六畳程の小さな部屋だった。職員用の机とベッドが一つ、あとは保健関係のテープ・ピンセット・消毒液・ガーゼなどが入った棚があったと思う。蒲生先生という女性で優しい方だった。休み時間に肩揉みをしたなぁ。 |