例)バレンタインのチョコが入ってたことがある。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
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恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白下駄箱: | バレンタインデーの日には下駄箱にたくさんのチョコレートが入っていました。 |
下駄箱: | 木製のふたつきの下駄箱でした |
下駄箱: | 新校舎になってからは下駄箱なんて無かった。ローファーで出入り可能です。旧校舎は不明。 |
下駄箱: | 当時は入学した年ごとにスリッパの色が、エンジ?、グリーン?、ブラウン?に別れていて、スリッパの色でこの人何年生かが分かった |
下駄箱: | 二年生のバレンタイン。包み紙の無いチョコが靴の上に置かれていた。誰が置いたのか・・ |
下駄箱: | 下駄箱はもちろん学年によって場所が違う。1年生のとき(1998年・平成10年)は改装工事があったので、1学期までは場所が違ったが、2学期になり改装工事が終わると場所が移動し中庭(テニスコート)ができ、横に自転車置き場もできたため増築し下駄箱も中(なか)ほどに移動した。2年生のころ(1999年・平成11年)は生徒入口正面真ん中の辺りで、3年生のころ(2000年・平成12年)になると3年生の下駄箱は生徒入口正面手前に移動した。ちなみに、教職員専用の下駄箱は別の階段を登ってドアを開けるとすぐある。階段を登ってすぐドアを開けるとある。 |
下駄箱: | すげーボロで必ず個人で鍵つけないとならないルールがあって、頭悪い高校だったからか上靴盗む犯罪者も潜んでた |
下駄箱: | 普通の下駄箱でした。校門入ってすぐ来客用の玄関みたいなのある |
下駄箱: | 今はもう違うものになっているけど 30代以上の人の上履きのスリッパ あのモーレツなニオイ覚えてますか?子どもが入学した時 まだこのスリッパなんか!と驚いて ニオイをかいで くっさ!と一気に学生時代にタイムスリップしました。妹にも『まだ同じスリッパやで!』というと『ニオイ思い出したわ〜』と言われた一品。 |
下駄箱: | 1年生だけ校舎が違って、下駄箱があったと思うんだけど、違った? |
プール: | 栄のプールは潜水が可能です。授業で最終部の先生の大人気の無さが顕著に目立ちます笑 |
職員室: | なかなか汚い人間の集まる場所だった だってろくな教師しか居ないもん |
伝説: | 文化祭前日にコンクリに黒スプレーで落書きして謹慎処分 |
卒業式: | 卒業式の次の日、3月2日は1時間目に卒業式のあと片づけをし、2時間目・3時間目に学年末テストを行った。(3月2日から4日間。休日をはさむ場合は次の週に行う。)卒業式は1年生は参加せず(休養日となる。自宅で家庭学習。)2年生から参加する。3月1日が来ると、卒業式よりもあと片づけ、学年末テストのほうが頭をよぎる。 |
プール: | プールは高等学校にはないので聖和短大のを使う |
校庭: | 運動場の端に弓道場がありました。 |
教室: | 入学したときは、古い木造。三年生から新しい校舎になった。でも、かせいかは、そのまま木造。 |
下駄箱: | 新校舎になってからは下駄箱なんて無かった。ローファーで出入り可能です。旧校舎は不明。 |
職員室: | 印象に残る先生方(昭和30年代); (1)A先生;生物の先生、これがいわゆる原形質いうものであるなんて唾を飛ばしながら用語を力説説明した。一番前に座っていた私はしばしば唾の攻撃を受けた。 (2)ぐあいちゃん:古文の先生。先生の本名は忘れたが、どうしてか知らないが、皆から 具合チャンと呼ばれていた。特徴のある声で古文を読み、とても愛嬌があったので皆に好かれていた。 (3)C先生;国語の先生、授業が始まるとすぐ、ショートの漢字の読み書きのテストをした。きっと皆が漢字を覚えていなかったからだと思うが、結構これで漢字を覚えたのだろうと思う。この先生、ある時、これこれはしなくてよいと指示した。学生の一人がしなくてもよいのだから、してもよいのですよねと言ったら、しなくもいいんだと強い口調になり、その後エンマ帳を出して、‘誰だお前は、名前をいえ’といって名前を書き込んでいた。その後しばしば何か印象がある学生がいると、すぐエンマ帳を取り出していたので皆に怖がられた。 (4)D先生: 3年の時の国語の先生、‘いい国だなー大和の国は‘などと大声で本を読みあげていた。ただし僕は国語の時間あまり好きでなかったので、別の教科の参考書を見ていることが多かった。回ってきた先生に見つかったが、受験勉強は大変だねといってよく見逃してくれた。 (5)N先生:英語の先生。1年と、3年で教わったが丁寧なわかりやすい授業と、ひとつの単語が出るとは派生語も例題も詳しく説明してくれた。外見も大変穏やかで、高校では当時一番感じの良い先生だった。一年の時、夏休みの補習授業で、ちょっと褒めてもらいそれからは英語がかなり好きになった。その後も同窓会でお会いしたことがあるが先生の穏やかさ、あたたかさは少しも変わってなかった。 |
教室: | むか~しむかし、昭和の時代。この学校(旧校舎)に「きだ~ら」という国語の教師がいました。ある日の授業で「きだ~ら」は、生徒全員に小さな紙を渡し、「これから、皆の書いた句をつないで俳句(川柳)を作ります。」とその句が書かれた小さな紙を回収し、それらの句を「五七五」になるように組み合わせ黒板に書き出しました。そうして黒板に書かれた俳句(川柳)を見た生徒たちは笑いました。その光景を見ていた「きだ~ら」も、と~っても満足げでした。しかし、一人だけ不満げな生徒がいました。黒板に書かれた俳句(川柳)には全てに彼の名前が入っていたからです。彼の名前を悪ふざけで書いた生徒が数人いて、それと他の句(差別的な用語や卑猥な用語)を組み合わせて「きだ~ら」は俳句(川柳)という名の「悪意」を黒板に書き出し、彼をクラス全員の「晒し者」にしたのです。授業中に黒板に自分の「侮辱」を10通り以上書かれて気分の良い人間などいるでしょうか?しかも、彼は「きだ~ら」に恨まれるような事は何一つしておらず、ただ単に「きだ~ら」の「受け狙い」だったのです。もしも、今の時代にそんな事を教師がして、生徒が「不登校」になったり、「自殺(未遂)」したなら連日報道され、そんな教師は「処分」されるでしょう。しかし、「きだ~ら」はそうはならず、噂では「学校長」にまでなったそうです。今は、何もなければ「定年」を迎えているやもしれません。そんな人間に「学校長」の「辞令」を交付し、高い給料(税金)で雇用し、定年退職ともなれば高い退職金(これも税金)を渡す「北海道教育委員会」は何を考えているのでしょう?一方、「侮辱」を受けた生徒はその後どうなったのでしょうか?彼は |