昭和28年ごろで5年生だったと思うが、担任はお姉さんのような美しい溝口先生だった。
教室は8人程度の班に分けていた。当時教室は50人弱程度いたから6班程度があったと思う。国語の本を班ごとに読ませ、読み間違ったら次の人が読むというやり方で、各班にどのくらいの行を読むことが出来たかを競争をさせ、一番負けた班がその日の教室掃除を担当することになっていた。当時花菱アチャコや横山エンタツという喜劇スターがいてよくアジャーパーなんて言葉がはやっていた。
読み間違えるとアチャー!やアジャーパー!なんて言って他の人を笑わせたりしたものです。このころ今ではフウテンの寅さんの言葉で有名だが、女子には俺をー君ではなく、オイチャンと呼べと言って笑わせていた人もいた。また先甲府に重病の女の子が手術を受けるお金が足りないという新聞記事があり、先生の提案があったと思うが、皆で話し合って、その子を応援するために新聞紙などで袋を作ってお店に行ってそれを買ってもらったり、遠くの山に行って柏の葉っぱを取ってきて店に買ってもらったり、小遣いを出し合ったりしてお金を作り、甲府送ったという思い出があります。当時これはこの組にいた女子にお父さんが新聞記者をしていた人もいたためか山梨の新聞にも載り、皆で喜びあった記憶があります。それは、それは、溝口先生のお陰であるのですが、まとまりのある素晴らしいクラスでした。先生も皆様も今なお、お元気であればよいのですが。
(2016/11/03 11:01:35:名無し)