例)春休みになると体育館で地域のお祭りイベントをやりました。今でもやっているのでしょうか。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白体育館: | 勉強は、できなかったけど、部活は楽しかったです\(^o^)/ |
体育館: | 女子バレーは毎日練習してました。 辛かったけど皆仲良くて楽しかったな^_^ |
体育館: | 景色が綺麗 |
体育館: | あったっけ? |
体育館: | S51/MBの卒業生です。体育館は確か旧体と呼んでいた記憶があります。 |
体育館: | バスケ部でした下手くそだったですね(*´・ω・`)あとポジションが近いあの女バスケ部員の彼女は元気でしょうか?☺️ |
体育館: | 昼休みによく利用していた。バスケットをしていた。 |
体育館: | 3年の時にグループにわかれて、むちゃくちゃなバレーボール |
体育館: | 1998年だったと思う。生徒指導室が体育館の横。その当時の『黒田先生』は野球部顧問していた。ヤンキー10人相手して無傷だったとウワサが。 |
体育館: | 毎週、火曜日金曜日バレーボールを追っかけていた1992 年 |
教室: | 英語のリスニングルームってほとんど使わなかったような。文化祭では活躍してたかな。 |
職員室: | 職員室の壁に、「子らを戦争に送るな」と掛かれていた。よく使いっ走りさせられて楽しかったよ。物理のポマードのじいちゃん先生、東大卒で教科書一度も使わずプリント(自作)のみ。全く分からずいつも欠点(最初と最後だけギリ40点越え)何故卒業出来たかわからない。でも声が大好き優しくてよく物理室に質問行ってた。そしたら頭を撫でて「kubo.はもう少し落ち着いて考えたらわかるはず」といつもニコニコしながら話して下さった。 |
教室: | とても素敵な英語のH先生 数学のk先生のご兄弟はフェラーリのデザインに携わってたと伺ったことがあります。 |
謝罪: | 2016~2018 all,Cクラスだった 、ブラジルとフィリピンのハーフのNMGさん傷つけてしまってごめんなさい。入学当初、初めて自分から声をかけてできた友達でとても嬉しかったことを覚えています。初めて名前で呼び捨てしてくれた時はすごく嬉しかった。時間が経つにつれて、次第に、あなたを傷つけてしまっていたこと、本当にごめんなさい。昔から友達との距離感が掴めなく、これくらい友達だから理解してくれる、許してくれると安易な気持ちでした。その後、話し合う時間を取ろうとしても避けられてしまったのはとても悲しかったです。人付き合いが苦手な私があとからわかったことですが…。私は自閉症でした。人との付き合いが難しく、人の気持ちを考えられない、などといったことがありました。気になりましたら検索してみてください。今は、自分の障がいも受け止め生活しています。あの時は本当に傷つけてしまってごめんなさい。もし、いつか会えたなら、また笑って話がしたいです。一緒に沢山遊びました。お泊まりもしました。優しかったあなただからこそ、私から離れていったのだと思います。もし、これを見たのならまた、いつか会いたいです。貴重な2年間をありがとう。体に気をつけて、ご飯もしっかり食べてください。どうか元気で。 |
怪談: | 冬場の部活終わりに32HR前を通ったところ、背面黒板スレスレに佇む女を確認。背丈は140cm程、格好は制服。顔は暗所のため良く見えなかった。すぐさま悲鳴を上げて逃げたため確かではないが害は無さそうであった。 |
プール: | 女子のプールの時間のあるある 着替え中に可愛い下着自慢笑 |
文化祭: | ピンクボーイ |
怪談: | 二号館二階のトイレは、誰もいないのに水が勝手に流れます。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
プール: | プールはなかったのでほしかったね。 |