例)入学式に遅刻してしまい大変でした。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白入学式: | いぇい |
入学式: | 浅里由美子さんと須貝美和子さんを探しています |
入学式: | 桜 |
入学式: | 入学式では担任から1人1人名前を呼ばれて立ち、最後のクラスの出席番号の最後の女子(クラスによっては男子)まで待ち、それが終わると代表の先生の声で「以上、⚪⚪⚪⚪以下⚪⚪⚪名の入学を許可します。」と言われて、入学を認められる。 |
入学式: | ほとんど知る人がおらず困惑でしたでも今を思い出すと高校の時ばかりです |
入学式: | 入学式は人が凄く多くて、びっくりしました。また、校長先生?の話が長すぎて眠くなりました |
入学式: | 入学式、校歌とか、在校生の方々が歌わない。入学して、それがある意味伝統にw |
入学式: | そろばんの検定試験で来た学校の生徒になるやなーと思った。 |
入学式: | 入学式に遅刻した実績あり |
入学式: | 入学式の直後だったか、その1日ぐらい後だったか、校歌を教える先生がいた。その先生が私の歌った後について歌ってくださいと言ったら、ある学生が、あれでもわたしやうまいつもりだよ、なんてかなり大きい声で言ったらそれが先生に聞こえ、すごい顔でにらまれていた事思い出す。この学生とてもひょうきんな人で、当時通学は電気機関車で引っ張る電車だったが、手動のブレーキを操作し、その車両の近くで大きな音響を発生させ、慌てて元に戻してその周りの学生たち皆で大笑いしたこともある。この人今も周りの人を笑わせ楽しませているのであろうか。 |
運動会: | 借り人競争 |
トイレ: | 6号棟の1階のトイレは綺麗なのに、2階〜4階、5号棟のトイレとなるとあまり良いように感じられません。また、体育館の地下でもトイレはありますが少し汚いですが利用してる人は何人かいました。ただ、一番汚すぎって思うのは5号棟のトイレです。あそこはもう電気も暗いし不気味です。これ以上言わない方が良さそうなのでここまでにします。 |
伝説: | フルチンでグラウンドを走る猛者 |
体育館: | そういえば体育館地下にあったなー。防音効果抜群だなって毎回思ってた |
プール: | こけた |
教室: | むか~しむかし、昭和の時代。この学校(旧校舎)に「きだ~ら」という国語の教師がいました。ある日の授業で「きだ~ら」は、生徒全員に小さな紙を渡し、「これから、皆の書いた句をつないで俳句(川柳)を作ります。」とその句が書かれた小さな紙を回収し、それらの句を「五七五」になるように組み合わせ黒板に書き出しました。そうして黒板に書かれた俳句(川柳)を見た生徒たちは笑いました。その光景を見ていた「きだ~ら」も、と~っても満足げでした。しかし、一人だけ不満げな生徒がいました。黒板に書かれた俳句(川柳)には全てに彼の名前が入っていたからです。彼の名前を悪ふざけで書いた生徒が数人いて、それと他の句(差別的な用語や卑猥な用語)を組み合わせて「きだ~ら」は俳句(川柳)という名の「悪意」を黒板に書き出し、彼をクラス全員の「晒し者」にしたのです。授業中に黒板に自分の「侮辱」を10通り以上書かれて気分の良い人間などいるでしょうか?しかも、彼は「きだ~ら」に恨まれるような事は何一つしておらず、ただ単に「きだ~ら」の「受け狙い」だったのです。もしも、今の時代にそんな事を教師がして、生徒が「不登校」になったり、「自殺(未遂)」したなら連日報道され、そんな教師は「処分」されるでしょう。しかし、「きだ~ら」はそうはならず、噂では「学校長」にまでなったそうです。今は、何もなければ「定年」を迎えているやもしれません。そんな人間に「学校長」の「辞令」を交付し、高い給料(税金)で雇用し、定年退職ともなれば高い退職金(これも税金)を渡す「北海道教育委員会」は何を考えているのでしょう?一方、「侮辱」を受けた生徒はその後どうなったのでしょうか?彼は |
文化祭: | 私は10期生ですが、その当時、文化部発表会は学校内だけのイベント、いや、学校行事でした。他校の生徒さんや中学生はもちろん、保護者も参加できない完全非公開の文化部発表会でした。でも、ステージでの劇やライブあり、教室を使っての迷路やお化け屋敷などの展示あり、校内全体を使ってのウルトラクイズをやったりと、それなりに皆んな楽しんでたと思います。 |
トイレ: | 新校舎になってからは商業施設やデパートと比較してもなんの遜色もない。旧校舎は薄暗いし色々とあったな |
体育館: | 体育館はとても良い匂いだった。ずっと体育館にいたかった。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |