例)卒業式に親友たちと別れるのが名残惜しかったです。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
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恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白卒業式: | 答辞を |
卒業式: | 暴走族が必ず現れる |
卒業式: | 私は、50歳に、なってから、卒業アルバムを、見る事が、辛くなりましたのは、私を、いじめました人たちは、まだ、50歳に、なっていなくて、私を、いじめました事を、忘れて、立派で、素敵な女性に、なっていますでしょうね。私は、忘れていなく、私を、いじめました人たちより、ネガティブ思考に、なり、イライラする事が、あります。私は、かおり友の会を、辞めない限り、私を、いじめました人たちと、縁が、切れなく、イライラする事が、よくあります。 |
卒業式: | 卒業式の後、校庭で車、バイクで砂煙立てた奴誰だっけ? |
卒業式: | すべり止めの有名私大の合格は決めていたが、“本命”の国立大の二次試験が間近という状況ゆえ、当初は余り感傷的にはならなかった。しかしある一場面がそれを変えるきっかけに…。朝の登校時から粛々と式典への段取りが進められて廊下整列を終えた時に、体調が優れずも証書を授与される(初代)校長先生が横を通られ、我々一人ひとりに『おはよう。今日は卒業おめでとう。』と声を掛けられたのだ。その温かい言葉を境にどんどん“名残惜しく”なった。その上で卒業式では、この3年間の不良振りにも関わらずここまで来れたことへの謝罪と感謝の気持ちや、4月から大学生に相応しい成長を遂げねばとの“決意“から、身が引き締まる思いになった。そして式後にはこのHRをもってクラスメイトが全国の大学に散らばっていく淋しさをも覚えたが、いつか再会して「しっかりやっている姿」を見せられる日が来るまで頑張らねばと思いつつ母校から旅立った。(卒業から28年。まだ5名の仲間と再会できていない。) |
卒業式: | 1983年そ |
卒業式: | 毎年校庭を暴走族が走ってた気がする |
卒業式: | Kiroroのベストフレンドを替え歌で歌った。 |
卒業式: | 俺達の仲間は無事卒業出来ました。松溪中学出身の仲間は元気ですか?笠井君、古田君、氏野君どうしてる⁉️ |
卒業式: | 卒業式に丹尾真斗という架空の人物がいたとかいなかったとか |
恋: | 当時、三年生の先輩、IさんとOさんのファンクラブに入っていました。二人とも最高にかっこよくて一年生の憧れの的でした‼️ |
トイレ: | 尿と便を出しました |
教室: | 馬鹿な三年生が上の階からゴミ袋に水を入れ下に落として直ぐに全校集会が開かれた |
職員室: | 生物の吉田先生は、お医者様だったと言われていて、とても実験を実際重んじ授業は楽しかった。化学も大好きだった。卒業してからも2年ほど三年生の進路相談の講師役に呼んでくださり、終わった後先生喫茶店に行った事も忘れていません(緊張した)10クラスある中でしょっちゅう取り立てて頂きました。ずっとお会いしたかったです。 |
音楽室: | 音楽室の思い出がない。がーん(|| ゜Д゜) |
プール: | 1998年だったと思う。水泳部の顧問『森先生』1つ上の先輩達が奇跡のスリーサイズって言ってた。スリーサイズ全部100て(笑)あとから聞いたけどシンクロ専攻の先生って |
謝罪: | ただただ子供でした。辞めず卒業したかったです。大変いろいろな人にご迷惑をおかけしました |
恋: | Mirei,MY LOVE❤ |
謝罪: | M君へ 1年の時の体育祭の日、つまらないことで乱暴なことをしてしまって申し訳ありませんでした。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |