例)卒業式に親友たちと別れるのが名残惜しかったです。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、良い思い出は、あまり、ないので、かおり友の会を、やめたいので、かおり友の会の同窓会の通知ですが、今後、私の方へは、郵送しないよう、宜しくお願い致します。 |
卒業式: | 運動会 |
卒業式: | 卒業式後、配られたお弁当を教室で皆で食べ片付けもせず帰った事後悔してます。ごめんなさい(_ _;) |
卒業式: | 卒業式は30分ほどで終わった。学園紛争があり、職員室閉鎖、造反教師が3人程先導して、授業も1か月ほど止まり、問題な生徒を早く追っ払うような、卒業式であった。 |
卒業式: | 卒業式の日に、車を運転して来た同級生がいたが、東京で働いていたとき、我が社に軽自動車でアルバイトに来る高校生がいた。何処かの良いところのボンボンだろうが、高校生-自家用車!田舎出身の自分は東京は凄いところだと思った.52年前の話 |
卒業式: | 卒業式の後に短大へこそ~っといって紙コップの自販機でパインのジュースを買って友達と乾杯しました。懐かしい思い出になりました |
卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、薫英の同級生たちの中では、母親から、子供扱いされている人は、私一人だけです。母親から、子供扱いされる度に、薫英の同級生の人たちの顔を、思い出し、イライラし、金曜日は、仕事を、待つ事が、多く、金曜日には、仕事を、待っている時に、母親から、子供扱いされる事を、思い出したりする事と薫英の同級生の人たちの顔を、思い出したりする事が、絡まってしまい、心の不調を、訴えるように、なり、令和元年12月27日から、金曜日には、暫く、仕事に、行けなくなりました。 |
卒業式: | Kiroroのベストフレンドを替え歌で歌った。 |
卒業式: | 石山国語の先生 |
卒業式: | 情報処理で1年留年したけど良く卒業出来たと思う。今では開発者で仕事しています。 |
謝罪: | 子供を作ってしまい2学期の途中で退学した田中さん、父親として責任をもって一緒に辞めた井上くん、父親は実は僕です。ごめんなさい |
図書室: | 離れにあって、落ち着く場所。よく猫が周りを歩いてました。デスクやランプも好きだったな |
下駄箱: | 竹〇君が下駄箱の匂いに興奮していた |
教室: | 馬鹿な三年生が上の階からゴミ袋に水を入れ下に落として直ぐに全校集会が開かれた |
入学式: | 高校1年生、初めて花輪線の機関車が引く列車に乗り大舘駅で花岡線のジーゼル列車に乗り換えやっと、たどり着いた学校。クラスに入ると授業開始前にドカドカと先輩(2年生)がクラスになだれ込み「お前ら、返事が足りないんだよ。」とまず焼き入れ、皆は「シーン」ただただ下を向いているだけ、やがて朝礼の時1年生はいち早く「体育館」に集合。そこで先輩から、校歌を教示されるが半端な歌い方ではなかった、後ろに反り返り体育館の天井を見ながら大声で歌う。1週間は続いたかな・・・今思えばシゴキでなく早く花岡工業高校(大舘工業高校の前進)の男たれの先輩たちのはっぱだったかもしれない。体育館は「妙に天井がたかかった。」檀上には「番長高谷氏」が学ランに首から茶色のぶっとい組紐をぶら下げ、「俺は男だ。」を誇示していた。体育館は「男」を気づかせる場所だった。そして板敷の廊下を「番長」が足駄(下駄)を履いてお伴を引き連れながら体育館に入ってくる青春の時代であった。男臭さのプンプンする「花校」が懐かしい。今の時代のような陰湿なイジメや派手さのない筋の通った学校で勉強出来た青春だった。先生もみんな筋が通っていた。白は白・黒は黒・・・灰色はない。強烈な個性の集まり「花校」のような学校が復活すればいいな。と思う昨今だ。 |
告白: | 1986年に、一緒に卒業した女の子は、みんな大好き |
怪談: | 怪談というか、海で死体が上がった事があり、授業中にもかかわらず生徒は皆ベランダへ出て大騒ぎしていた思い出。撤収が驚くほど速くてそこがちょっとしたホラー。 |
文化祭: | 一年生の時の文化祭はあまり記憶がありません。2年生になって初めて「科学部」なるものの活動が認められ部員6人でスタートしたものの何を文化祭でやろうかと、さんざん悩み鉱石の分析試験管を並べたり、図化して模造紙を教室に張った事があります。しかし部員からあまりに地味と意見が出てならば「紙粘土で火山を作りペンキや絵の具で彩色し、真ん中に火口を作り噴火を模擬する。」が採用されそんな時に神の助けか、白衣が届き学者気分でそれを着て火山活動を再現させる為、アルミ粉やさまざま調合しミニチュア火山を噴火させ好評を得た文化祭だった遠い学生時代の思い出です。薬品を調合することも火力を使うことも、電気発火させることものびのびとやらせてくれた、今では「危ない、危ない!!!」と過保護すぎる世の中なのに、私の時代は「発想」と「研究」を本当に大事にしてくれた「花工」でした。タイムマシーンがあるなら「戻りたい。」楽しい学生生活でした。 |
文化祭: | 応援団で声枯れ声涸れ 甘いお茶飴 |
感謝: | 懐かしいです。僕が2年生の秋頃、まだ土曜日が半日学校が当たり前の時代。秋晴れの静かな土曜日の午後、部活で帰る生徒達がチラチラと。大好きなとき。僕の大好きな記憶。そしていやがらず、何気に僕の方からも求めていた・・・校長先生との接吻と手で出されてそのまま眠りについた、中庭校庭の芝生。校長先生はいいました、男同士でも結婚出来る未来がやってくるよと。あれからもう僕も立派な中年。もう時効ではないでしょうか、ねぇ工藤先生。 |