福島県立相馬総合高等学校の告白

懐かしい福島県立相馬総合高等学校の記憶を共有するページです。

福島県立相馬総合高等学校の告白

福島県立相馬総合高等学校幼かったあの頃、言いたくても言えなかったこと。伝えたくても伝えられなかった想い。愛の告白や今なら言える秘密を打ち明けて見るのも。伝わるかどうかは分かりませんがここで打ち明けてみませんか。
※不特定多数に個人が特定デリケートな情報はお控えください。

福島県立相馬総合高等学校
告白の思い出

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例)本当は大好きでした!










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の告白での記憶

告白での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 告白での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
告白真紀子さん

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告白先生からして、とってもいじめが多かった

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告白青春は全て恋愛だ!

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告白一度もお話したことはないけれど好きでした

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告白本当は、イニシャルAKさんのことが大好きでした。

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告白初恋でした〜

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告白1年先輩グレーのマフラー貰いました四つ葉のクローバーペンダント笑顔な可愛い人でした

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告白恋の思い出に記載されている通り健康的な体、とても落ち着いてて清楚な姿(特に制服姿においては短ソックス履いているお嬢様スタイル)にはいつも目を追いかけていてなおかつ直向きで一生懸命で真剣に物事に取り組む姿は忘れられずに今でもその姿を思い出している自分がいます。清楚な姿(特に制服姿で短ソックス履いているお嬢様スタイル)をもっともっとこの目で焼き付けたかった。もっともっとお話をして色々と知りたかった。それぐらい好きで好きでたまりませんでした。

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告白永田充君、覚えてますか?大切に思っていました。

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告白強そうにふるまってたけど 今なら言えます好きでした

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高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
卒業式卒業式では担任から1人1人名前が呼ばれ、壇上に上がって卒業証書を受け取らずに、卒業式が終わってHRで担任から1人1人卒業証書を受け取った。

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校庭爽やかだった

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文化祭運動会の縦割り、3年間リーダーしんどかった。部活のコーラス部厳しかった。先生からの使いっ走り、よく放送で呼び出されホワイトハウスに印刷しにも行ったなぁ…

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告白足立麻実さんと出会って以来、彼女以上の好きになった女性はいません。彼女が好きです。

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屋上運動会の練習は建築科の応援練習は屋上で、声が出ていないと上級生の先輩が何度もやらなければならなかった。

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卒業式卒業式の次の日、3月2日は1時間目に卒業式のあと片づけをし、2時間目・3時間目に学年末テストを行った。(3月2日から4日間。休日をはさむ場合は次の週に行う。)卒業式は1年生は参加せず(休養日となる。自宅で家庭学習。)2年生から参加する。3月1日が来ると、卒業式よりもあと片づけ、学年末テストのほうが頭をよぎる。

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卒業式訳あって叶いませんでした。

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怪談創成の七不思議ってあったけどその当時は怖かった!

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教室むか~しむかし、昭和の時代。この学校(旧校舎)に「きだ~ら」という国語の教師がいました。ある日の授業で「きだ~ら」は、生徒全員に小さな紙を渡し、「これから、皆の書いた句をつないで俳句(川柳)を作ります。」とその句が書かれた小さな紙を回収し、それらの句を「五七五」になるように組み合わせ黒板に書き出しました。そうして黒板に書かれた俳句(川柳)を見た生徒たちは笑いました。その光景を見ていた「きだ~ら」も、と~っても満足げでした。しかし、一人だけ不満げな生徒がいました。黒板に書かれた俳句(川柳)には全てに彼の名前が入っていたからです。彼の名前を悪ふざけで書いた生徒が数人いて、それと他の句(差別的な用語や卑猥な用語)を組み合わせて「きだ~ら」は俳句(川柳)という名の「悪意」を黒板に書き出し、彼をクラス全員の「晒し者」にしたのです。授業中に黒板に自分の「侮辱」を10通り以上書かれて気分の良い人間などいるでしょうか?しかも、彼は「きだ~ら」に恨まれるような事は何一つしておらず、ただ単に「きだ~ら」の「受け狙い」だったのです。もしも、今の時代にそんな事を教師がして、生徒が「不登校」になったり、「自殺(未遂)」したなら連日報道され、そんな教師は「処分」されるでしょう。しかし、「きだ~ら」はそうはならず、噂では「学校長」にまでなったそうです。今は、何もなければ「定年」を迎えているやもしれません。そんな人間に「学校長」の「辞令」を交付し、高い給料(税金)で雇用し、定年退職ともなれば高い退職金(これも税金)を渡す「北海道教育委員会」は何を考えているのでしょう?一方、「侮辱」を受けた生徒はその後どうなったのでしょうか?彼は

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運動会「飛び出せ青春」の「貴様と俺」をみんなで練習して、体育祭の応援で歌った。

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