例)音楽室のベートーヴェンは夜動くそうです。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白怪談: | 夜に理科室に行くと謎の光が浮いてるらしいです |
怪談: | 由比先生 |
怪談: | なんかあるひ図工室で掃除をしていたら,何かの肖像画が急に動いた!なんかあの時,好きな男子と掃除しててそのとき抱きついっちゃてそれが恋の始まりで1 |
怪談: | おきざりランドセルがでるよ |
怪談: | トイレ |
怪談: | 五小の前はお墓だったと言う話や建て替えの時に事故で亡くなった人、私の母の同級生が亡くなったなど建て替えをするのは良いですが大丈夫でしょうか?卒業生として心配です。 |
怪談: | まだ七砂小が木造校舎だった時の話です。その日は運動会でした。おしっこがしたくなった私は急いでトイレへ。確か今でいうと正門を入って左手あたりにあったと思います。もしかしたら右手かな?50年以上前の事なのでその辺ははっきり覚えていません。当時のトイレは校舎から突き出た感じで設置してあり、校舎の外からも入れるようになっていました。運動会のこの日は皆校舎の外から入っていました。トイレの建物の左右に外から出入りするための戸がありました。私がトイレに入った時は誰もいませんでした。おしっこをしているとトイレの外で赤ちゃんの泣き声がしてきました。弱弱しく可愛い声でずっと泣いています。運動会なので多くの人が来校していたので赤ちゃんが泣いていても不思議ではありません。親があやしている様子はありません。不思議に思い泣き声のする外に出る戸の方へ行くと泣き止み、今度は反対側の外に出る戸の方から聞こえてきます。親が抱っこして歩いているのかと思ったのですが、よくよく考えると赤ちゃんを抱っこしたまま一瞬で10mほど移動したことになります。今度はそちらの戸の方へ向かっていくと泣き止み、また反対の戸の方から聞こえてきました。もうこの時点で何かおかしいと思った私は外へ出る戸を開けることができなくなりました。もし開けたらとんでもない怖いことが起こるのではないかと思ったのです。「どうしよう。」と思っていたら突然戸が開き「漏れるー。」と言いながら何人かの上級生が駆け込んできました。「たすかった。」と上級生と入れ違いに思い急いで外へ飛び出しました。「あれは何だったのか?」4歳年上の姉にそのことを話したら「あっ、それ有名な話。出るらしいよ。友達に泣き声聞いたっていう子何人かいるし。」とのこと。深川生まれで第二砂町小学校出身(古い方の二砂小ね)の父にもこの話をすると「ああ、東京大空襲の時とかずいぶん死んだからな。お父さんの友達もたくさん死んだ。空襲のたびに友達いなくなるんだよ。その時死んだ赤ちゃんがお母さん恋しくて泣いているのかもな。」なんてこと言うものだから私は二度とそのトイレは利用しませんでした。そしてだんだんと今の鉄筋校舎に代わっていったのです。確かプールの位置だけは昔と同じ場所だと思います。プールの怪談っていうのもあるんですよ。ふふ・・・ |
怪談: | 音楽室のベートーベンの絵が夜、鼻血を出すらしい |
怪談: | 七不思議 |
怪談: | 体育館近くの大きな石の下に戦争で死んだ死体が眠ってるらしい。小さい頃とても噂で流れてた話だけど |
保健室: | 仮病でサボるのたのしぇえw |
校庭: | 今でも思い出します。 35年も経ちました。 はたちのもりという場所がありました。グラウンドの隅に存在し、当時は当たり前の風景でした。 小さな森、芝生になっていてとてもとても素敵な場所でした。 校舎に沿って、ポプラ並木があり、風に揺れる葉っぱはキラキラしてきれいです。 その風景がそれは素敵なものだったと大人になって気付きました。 ポプラの木はもうないのでしょうね。 |
感謝: | 佐伯建設ノイシヤマシンイチ君、元気 |
校庭: | 6年生の時校庭の片隅の砂場を新しくするので結構大きめの石を下の小川まで3回か4回往復して砂場の下に入れました多分4組がやったと思いますあの長くて急な坂道をよく往復できたなぁ! |
給食: | 給食の時間に放送室から流れていた曲は、「椿姫」だったと記憶しております。今でもなつかしく耳に残っています。 |
体育館: | 職員室の上にあるからあまりうるさくしないでください!!ってゆわれてたきが。。。 |
校庭: | この小学校6年生だった昭和20年代後半のこと、男子は他の小学校とたびたびソフトボールの試合がおこなわれた。(女子はきっとドッジボールの試合があったのだろうと思うが思い出せない)。当時、谷一は守備もすごくうまい選手が多かったが、打撃ではすごい選手がいた。S君、I君である。彼らはスターだった。とんでもなく遠くにホームランを打つので、相手校の先生(監督)はすべてボール球をなげるよう指示していた。それでも彼らは踏み込んで遠くに飛ばすので、その次には、すべてゴロを投げ、フォアボールとして一塁に出していた。こんなことをしても、我々に勝てるわけないよと笑いながら、応援していた。その日の試合は、接戦ではあったが、結果的に負けてしまい、本当にがっかりし、とても悲しかった。家に帰りながら思ったことは、対等に立ち向かえない相手には、作戦というものが必要なのだということであった。谷一ホームページ見つけて、校庭について何か投稿しようと思ったとき、こんな些細な出来事を思いだした。 |
記録: | どうもー! |
飼育小屋: | 黒と白の鶏がおってな、雑草をやると白にあげようとすると、黒が突っ込んでくんねん |
給食: | 給食での思い出は、たくさんありますが、一番は、女の子が牛乳を飲まずに残していましたので、じゃんけんして、牛乳を取り合っていたことです。当時、私は、身長158cmのチビでしたし、牛乳が好きでしたから、いつも取り合っていました。そのかいあってか、今、身長180以上になっています。当時の女子に感謝ですね。 |