大鹿村立大河原小学校青木分校の怪談

大鹿村立大河原小学校青木分校に伝わる怪談をする共有するページです。

大鹿村立大河原小学校青木分校の怪談

大鹿村立大河原小学校青木分校古くから伝わる学校の七不思議や恐ろしい話、先生や先輩から聞いた不思議な話など、この学校にだけ伝わる怪談話をみんなで共有し、末永く伝えていきましょう。大河原小学校青木分校の怖い話、怪談話を知っている人はどんなささいな小話でもよいので是非教えてください。

大鹿村立大河原小学校青木分校
怪談話

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例)トイレには花子さんが出るそうです。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の小学校の怪談での記憶

怪談での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 怪談での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
怪談旧中学校校舎の3階?に小部屋があって。そこに行くと誰かがものを食べたり寝た跡があって…。

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怪談理科準備室のガイコツを見つめていると手をあげる

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怪談アリーナの近くの女子トイレに血だらけの白いドレスを着た女が出るらしいです。

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怪談30年ほど前の自分が在学中の話ですが、当時ハンデを持った子供の為の「仲良し学級」がありその校舎の一階の男子トイレは外から「誰かいますか?」と声をかけると誰も居ないのに全ての便器の水が流れました

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怪談七不思議 ①中舎3階女子トイレには,花子さんがいる。 ②三角地という場所がつくられたのは霊が角に住み着き,子供を連れ去るため。 ③音楽準備室から女性の悲鳴が聞こえてくる。 ④ワークスペースから自殺した人がいるためその人の霊が住み着いている。

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怪談本当にあった怖い話

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怪談2年生の時AIさんと、MYさんが、先生にめっちゃべたべたしていてキスをしようとしていた。いいなぁと思った

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怪談バカ死ね

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怪談なんかあるひ図工室で掃除をしていたら,何かの肖像画が急に動いた!なんかあの時,好きな男子と掃除しててそのとき抱きついっちゃてそれが恋の始まりで1

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怪談怪談話

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小学校での他の場所の記憶

他の小学校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
給食給食甲子園で優勝!日本一の給食!

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飼育小屋当番の日にはキャベツを持って行ってたなあ

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運動会創作ダンス踊ったと思う

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理科室理科室に人体模型が置いて合って

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教室仲の良い友達と、よく隣になっていました

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教室日本間教室ってありましたよね。お作法できる、お母さんの課外授業した記憶があります。  

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音楽室ピアノがあって、金管バンドの写真もあり、とでも思い出がたい。金管バンドはとても強かった。

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音楽室プリンの匂いしたよね

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給食中央廊下の給食室前に冷たいお茶が出るタンクがありました。

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職員室小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。

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