岐阜県立大垣東高等学校の怪談

岐阜県立大垣東高等学校に伝わる怪談をする共有するページです。

岐阜県立大垣東高等学校の怪談

岐阜県立大垣東高等学校古くから伝わる学校の七不思議や恐ろしい話、先生や先輩から聞いた不思議な話など、この学校にだけ伝わる怪談話をみんなで共有し、末永く伝えていきましょう。大垣東高校の怖い話、怪談話を知っている人はどんなささいな小話でもよいので是非教えてください。

岐阜県立大垣東高等学校
怪談話

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例)トイレには花子さんが出るそうです。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の怪談での記憶

怪談での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 怪談での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
怪談よしだらしい

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怪談put your hands up

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怪談3年間通えば、間違いなく一度は聞くのが琴似駅のトイレ事件。

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怪談ファッチ好きだわあ。いや、ファッチだって。え?わかんない?もう。ファミチキだよ、ファミチキ。

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怪談2023年高校生が3階校舎から飛び降りるも、学校側は言論統制。

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怪談こんにちは。僕は在学中はいじめがひどくて屋上校舎から飛び降り自殺をしたのです。ですが。。。よく皆が言うお化けに助けられたのです。皆、自殺は絶対にダメだよ。今はどん底社会人だけど頑張って生きようね。病気は統合失調症です。

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怪談旧体育館、あかずの間があったような・・・・・・

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怪談芸術棟の図書室の隣の大きな教室にある女子トイレは使用禁止になっているそうです。男子トイレは使えます。以前、女子トイレで吹奏楽部の生徒が首を吊った為使用禁止になっているようです。この話は吹奏楽部の間では有名な話らしく部活のメンバーは全員知っているそうです。ただ、ネットで調べても情報が出てきません。もし詳しく知っている方がいらっしゃいましたら教えて下さると嬉しいです。

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怪談教室の天井の足跡

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怪談眉毛無し男、眉毛無し女がウロウロしてた。

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高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
体育館勉強は、できなかったけど、部活は楽しかったです\(^o^)/

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体育館吹奏楽部だったからね。

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プールプール無かったよな

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屋上高校3年生の冬に全クラスともに写真撮影したので卒業アルバムに載りました。これも良い思い出です。

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怪談玉丘寮には優しい幽霊がいる

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入学式1期生です。入学式の日にもまだ工事が終わってない建物が有りました。

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文化祭文化祭ではありませんでした。先生はいつも言っていました。「文化祭じゃない。これは"文化部発表会だ!」

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伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!

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屋上いったことない

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毎日学校に行くのが楽しかったな

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