例)暖房器具がなくて石油ストーブでした。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白教室: | 購買で買って食べたフレンチドッグという菓子パンがシュールで美味しかった |
教室: | 二学期中間試験中の夜でした |
教室: | 始業式は毎年4月9日。しかし2000年(平成12年)は4月9日が日曜日だったため、4月8日(土曜日)を急遽(きゅうきょ)始業式とし、4月9日(日曜日)を休養日、4月10日(月曜日)を入学式(2年生・3年生は休み)となった。そのため他校は4月10日(月曜日)が始業式という学校が多く、事実、道ですれ違った際「学校は?」と聞かれて「きょう入学式で(4月)8日が始業式だった。」と説明した。(靴を買いに行く途中。) |
教室: | 皆何してるかな、コロナ大丈夫かな⁉️ |
教室: | 松田稔先生の思い出がいっぱいです。 |
教室: | ある時、ギャーギャーと断末魔?悲痛な泣き声が教室まで響きわたり授業が中断、原因は農業科の生徒による、子豚君の去勢手術と判明した。農業科の生徒の残酷な行為の割に、子豚君は、チンチンだけに赤チンを塗布して貰ったそうです。 |
教室: | 壁がガラス |
教室: | 昭和40年卒業です。牛館の木造2階建て校舎です。 教室のロッカーの後ろには、 床の間があり、暗いけど サボるには最適でした。 |
教室: | 英語のリスニングルームってほとんど使わなかったような。文化祭では活躍してたかな。 |
教室: | 教室の窓から慈恵医大に通っていた元巨人の山倉選手をよく見かけました |
教室: | 女性が3分の2 |
卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、薫英の同級生たちの中では、母親から、子供扱いされている人は、私一人だけです。母親から、子供扱いされる度に、薫英の同級生の人たちの顔を、思い出し、イライラし、金曜日は、仕事を、待つ事が、多く、金曜日には、仕事を、待っている時に、母親から、子供扱いされる事を、思い出したりする事と薫英の同級生の人たちの顔を、思い出したりする事が、絡まってしまい、心の不調を、訴えるように、なり、令和元年12月27日から、金曜日には、暫く、仕事に、行けなくなりました。 |
告白: | 松堂百恵さん好きでした。 |
屋上: | 屋上でよく、購買で買ったパンと自販機で買ったフルーツじゅうす飲食してました。そのあとみんなジュースの紙パックふんずけてパンパンならしてました。昭和57 |
卒業式: | 情報処理で1年留年したけど良く卒業出来たと思う。今では開発者で仕事しています。 |
感謝: | 赤点ばかりだったのにみはなさず、家に来てくれてありがとう御座います。留年免れました。 |
プール: | プールの授業楽しかったな |
入学式: | 高校1年生、初めて花輪線の機関車が引く列車に乗り大舘駅で花岡線のジーゼル列車に乗り換えやっと、たどり着いた学校。クラスに入ると授業開始前にドカドカと先輩(2年生)がクラスになだれ込み「お前ら、返事が足りないんだよ。」とまず焼き入れ、皆は「シーン」ただただ下を向いているだけ、やがて朝礼の時1年生はいち早く「体育館」に集合。そこで先輩から、校歌を教示されるが半端な歌い方ではなかった、後ろに反り返り体育館の天井を見ながら大声で歌う。1週間は続いたかな・・・今思えばシゴキでなく早く花岡工業高校(大舘工業高校の前進)の男たれの先輩たちのはっぱだったかもしれない。体育館は「妙に天井がたかかった。」檀上には「番長高谷氏」が学ランに首から茶色のぶっとい組紐をぶら下げ、「俺は男だ。」を誇示していた。体育館は「男」を気づかせる場所だった。そして板敷の廊下を「番長」が足駄(下駄)を履いてお伴を引き連れながら体育館に入ってくる青春の時代であった。男臭さのプンプンする「花校」が懐かしい。今の時代のような陰湿なイジメや派手さのない筋の通った学校で勉強出来た青春だった。先生もみんな筋が通っていた。白は白・黒は黒・・・灰色はない。強烈な個性の集まり「花校」のような学校が復活すればいいな。と思う昨今だ。 |
教室: | 2階と3階に廊下は無く、ベランダが通路がわりに。その保護柵はなんと黄色く塗られた二重のガードレール。 |
教室: | 私が在学していたS45年から47年には面白い先生が多く、中でも化学、倫理、国語or社会の先生は記憶にあります。倫理の先生は、テストは教科書や黒板に書いた内容からじゃなく、全く関係ない “ 自殺について “ の論文を書かされました。国語or社会の授業では、皆な先生を馬鹿にして早弁したり、イヤホンを学生服の袖を通して耳に当て、分からないように手で押さえて聴いていました。 |