例)暖房器具がなくて石油ストーブでした。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白教室: | 1年生だけ校舎が違ったと思うんだけど、違った? |
教室: | クーラーあったけど決まった時間しかつかえなかった |
教室: | 椅子がなぜかパイプ椅子だった。 |
教室: | 自転車盗まれたの後被害 未遂の時自転車のかごにタバコの灰放置され知らない人のタバコ許せない。同一犯による芸能人やアニメキャラクターの名前を使っていたずら電話かかって来ました。青木さやか好きだから青木っなのったりキムタク好きだから木村っとなのったりサザエさんの中島くんが好きだから中島っなのたり千原せいじ好きだから政治家になりすましったりタモリ好きだから森田っとなのたりしてきました。森田事件の関しては、タモリのあの昼の番組放送している最中に森田っとなのったりされました。 |
教室: | 三方向が、窓の謎の教室。壁なのは入口がある西側だけ。 |
教室: | 高校1年生のころ(1998年)、連絡網はワープロだった。高校2年生(1999年)、高校3年生(2000年)のころはパソコンになった。2年生のころ、連絡網がパソコンに変わったため、使い方が分からず女の社会科の先生が男の情報処理の先生に聞いていた。 |
教室: | 当時は木造2階建のギシギシと音をたてるような教室だった。卒業してから行ってないが、新しい建物に変わっているだろう。当時、ビデオカメラがあったら映像でのこしていたのに。ふるぼけた写真しかない。 |
教室: | 物理室には光学顕微鏡が人数分あり、府内唯一だと言われていました。頑固な先生で、最初の課題が、自宅の緯度経度を計算して出せ、と言うもので、えげつない程難しく、かなりの時間掛けてましたねーみんな住所違うから真似提出出来ないし… |
教室: | 統合移転間際の食堂の写真をネットで見たけど、変わってない感じやったよ。 |
教室: | 渡り廊下ありましたね。私の時も6組あって、進学クラスが2年続けて同じメンバーでね。楽しかったなぁ。クラスマッチも強かったよ? |
校庭: | 校庭は無く、体育の授業はほぼ体育館でしていた(体力テストの50m走のみ校内の駐車場でやった)。 |
教室: | 寒い時期には石炭ストーブがあったよ |
伝説: | なんかいた |
プール: | プールは無いが、テニスコートが調整池も兼ねているため、大雨になると水没し、通称プールと呼んでいた。 |
恋: | 先生と恋してた子いたよね。休み時間、グラウンド見ると端の方で二人が向い合って話してるの何回か見たよん(#^.^#)どうなったんだろ。 |
教室: | 火災があった |
告白: | ぎゃはははははははははは!!!!!!!!!!!!!! |
音楽室: | 当時は確かLDというものがあって。確か第二音楽室でレーナード・バーンスタインの指揮の動画を見たような。よく分からなかったけれどもっと観ていたかった。今からしたらすっごく贅沢な時間。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
教室: | 椅子がなぜかパイプ椅子だった。 |