例)学園祭でやったライブが忘れられません。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白文化祭: | クラス単位でテーマを決めた仮装行列が懐かしい。 |
文化祭: | 運動会の縦割り、3年間リーダーしんどかった。部活のコーラス部厳しかった。先生からの使いっ走り、よく放送で呼び出されホワイトハウスに印刷しにも行ったなぁ… |
文化祭: | 3年の時の文化祭がとても最高でした。高校生活最後にふさわしい思い出残る学校行事です。 |
文化祭: | 文化祭で女装してロックを歌った |
文化祭: | 機動戦士ガンダムの提灯行列 |
文化祭: | 一年生の時の文化祭はあまり記憶がありません。2年生になって初めて「科学部」なるものの活動が認められ部員6人でスタートしたものの何を文化祭でやろうかと、さんざん悩み鉱石の分析試験管を並べたり、図化して模造紙を教室に張った事があります。しかし部員からあまりに地味と意見が出てならば「紙粘土で火山を作りペンキや絵の具で彩色し、真ん中に火口を作り噴火を模擬する。」が採用されそんな時に神の助けか、白衣が届き学者気分でそれを着て火山活動を再現させる為、アルミ粉やさまざま調合しミニチュア火山を噴火させ好評を得た文化祭だった遠い学生時代の思い出です。薬品を調合することも火力を使うことも、電気発火させることものびのびとやらせてくれた、今では「危ない、危ない!!!」と過保護すぎる世の中なのに、私の時代は「発想」と「研究」を本当に大事にしてくれた「花工」でした。タイムマシーンがあるなら「戻りたい。」楽しい学生生活でした。 |
文化祭: | やっぱり仮装行列ですね。夏休みも学校に行ってみんなで準備した。 |
文化祭: | 中高合同だから、中学生が高校の文化祭を味わえて良い |
文化祭: | 入学して朝礼が無い。文化際の前夜祭のフォークダンスのパートナーを探さないといけない。パートナーチェンジが無いので必死でした。 |
文化祭: | 踊ることが嫌いな私は誘っていただいてもフォークダンスでは壁土でした。 |
感謝: | 1年の終わりに転校しました 謝るチャンスくれる偶然を待ちます |
怪談: | 保健室で寝ると高確率で金縛りにあったり悪夢を見ました |
文化祭: | 一年生の時の文化祭はあまり記憶がありません。2年生になって初めて「科学部」なるものの活動が認められ部員6人でスタートしたものの何を文化祭でやろうかと、さんざん悩み鉱石の分析試験管を並べたり、図化して模造紙を教室に張った事があります。しかし部員からあまりに地味と意見が出てならば「紙粘土で火山を作りペンキや絵の具で彩色し、真ん中に火口を作り噴火を模擬する。」が採用されそんな時に神の助けか、白衣が届き学者気分でそれを着て火山活動を再現させる為、アルミ粉やさまざま調合しミニチュア火山を噴火させ好評を得た文化祭だった遠い学生時代の思い出です。薬品を調合することも火力を使うことも、電気発火させることものびのびとやらせてくれた、今では「危ない、危ない!!!」と過保護すぎる世の中なのに、私の時代は「発想」と「研究」を本当に大事にしてくれた「花工」でした。タイムマシーンがあるなら「戻りたい。」楽しい学生生活でした。 |
体育館: | 隣の弓道場から矢が飛んできて焦ったね |
保健室: | 私保健室の常連でした。私の常備薬があるような状態でした。ごめんなさい2年生からは体調もよくなりー保健室には昼寝に行ってました。優しかった保健室の先生ごめんなさい。体調の悪い時はお世話になりました |
教室: | 二学期中間試験中の夜でした |
教室: | 国語の田中先生には、よく怒られました |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
プール: | 部活終わりにシャワーがわりにして |
感謝: | 仲良くしてくれて色々勉強なりました。ありがとうございました。 |