例)夜になると校庭にお化けが出るといううわさがありました。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白校庭: | 昭和27年代の思い出、年間行事で秋の芋煮会とあの時の美味しさが今でも忘れない。 |
校庭: | 神明太郎って鬼がいたような。あそこにボールを蹴ってよく遊んでた。そうそう、裏のほうに菜園みたいなところと、裏校庭もあった。 |
校庭: | この間、足立小学校に手紙を出しました。返事はFAXでとお願いしました。お返事を頂きました。いつも、私だけの書き込みしかない原因のことがわかったように思います。残念。 |
校庭: | ヤマモモの実をよく摘んで食べました! 私たちが卒業するときに、ハナミズキを植えたな。 |
校庭: | 戦争が激しくなり、畑にするため耕しました。 |
校庭: | 歌詞みつかりました!2019/11/15,16開催の創立50周年音楽会のパンフレットがpdfでネットに上がってました。作詞は、なつかしい初代校長の大岩眞五先生でした。メロディは覚えていたので、1番から3番までフルに歌ってしまいました。感激です。 |
校庭: | 校庭の隅に謎のお墓みたいのがある。 |
校庭: | 月に一回、朝礼で委員会ごとの報告がありました。それを覚えて教室でノートに書き取るのが朝自習でした。 |
校庭: | 昭和27年後だったか上級生になると、朝礼後、10分ぐらいだったと思うが、校庭の石(あの頃は校庭に小さい石(溶岩が多かった)がいっぱい転がっていた)を拾うのが常でした。 |
校庭: | 夏の運動会は3色対抗でとても盛り上がりました。楽しかった。 |
体育館: | 言っちゃ悪いけど校長先生の話だるい |
恋: | 加藤由希子が好きだ |
怪談: | これは七不思議でも怖い話でもなんでもありません。そもそも本当かも分かりません。全国にも言い伝えられているかもしれません。ちょっと前の話です。私は、上靴を学校に忘れてきた事に気づきました。時間は夕方頃。私は学校に戻って取りに行きました。なんとか上靴を見つけ、帰ろうとすると、ふと、階段に誰かがいるのを見つけました。この学校では見かけない子だったので転校生だと思って「誰?」と声をかけてみました。すると、彼女の首がいきなりずろん、と取れて、下駄箱に落ちてきました。ひっ、と思わず声が漏れました。よく見ると、彼女の目は無くて、黒い2つの穴がぽっかり空いている状態でした。私は、上靴をしっかり持って、全速力で家に帰りました。以後、彼女が現れることはありませんでした。 |
校庭: | 僕たちが産まれた頃には既に廃校となり、校庭はゲートボール場と化していた。高校生まで成長した僕たちは、夜な夜な原付を走らせ山口分校へ行った。そこで見た星空は一生忘れることはないだろう。 |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
音楽室: | 私が音楽ができなくて |
飼育小屋: | ムサシとコジロウっていう名前の鶏がいなかったっけ |
給食: | 奄美の鶏飯のレシピを知りたい |
怪談: | 花子さんしたけど出なかった |
告白: | 今日会えるのかな、心配だな。 |