古い話になるが、昭和の「有珠山」の噴火から祖父の家に避難した際、この学校に我家へ帰れるまで「仮入学」というカタチで通う事になった。新しくクラスへ入る私の紹介を担任教師がした際、転校(厳密には「仮入学」だが)の理由を極めて差別的にした為、その日から私のアダ名は「ウスザン」。休み時間の度にクラスの男子全員に囲まれ「リンチ(当時の表現)」され、どれだけヤっても「コイツ泣かねえ」と終いには他のクラスの男子まで参加するようになった。短い期間の在校だった為、それほど広い校舎ではなかったが行った事の無い場所もあった。そんな場所でガラスが割られていた時も担任教師が「誰がやったか知ってるやついるか?」クラスの男子全員「ウスザン!」一部女子がかばってくれたが、結局担任教師の「鶴の一声」で私が犯人という事になった。その後、無事我家へ帰れる事になりこの学校とはオサラバする事となった。私にとっては最悪の日々であった。
(2020/08/06 13:19:18:名無し)