昭和25年に入学、そして27年7月に小樽色内小学校へ転校しました。北海道では京都弁が通じないため、寂しい時がありました。転校して2学期の中頃、は組の皆さんから、小樽色内小学校のクラス全員に手紙が届きました。は組の皆さんからの京都弁の手紙は、クラスだけでなく、他のクラスにも伝わり、変な言葉を話す児童として見るのではなく、日本各地には方言があることをクラス全員で学びました。 松本先生と皆さんの優しいお気持ちを忘れることができません。 この時の手紙は、職員室でも話題になりました。小樽色内小学校のクラス全員では組の皆さんに返事を出しました。すると、今度はは組の皆さんが描いてくれた絵が届き、クラスは大騒ぎになりました。富裕小学校は組の皆さんが描いてくれた画用紙の大きさにクラスだけではなく、職員室の先生達にも驚きの声が挙がったそうです。当時の小樽では、小学校の低学年生の図画工作の授業では、B4のざら紙に描いていました。高学年からB4の大きさの画用紙に描いていました。富裕小学校は組の皆さんから送られてきた絵は小樽市内の教職員の研修用の資料として発表されました。中学になった時、図画工作の先生から、富裕小学校の図画工作の授業のことを尋ねられ私はその先生から少し丁寧な指導を受けることができました。しかし、その時の手紙と絵は、残念にも中学1年の5月に小樽色内小学校の大火事で焼失してしまいまいました。木造の小学校は、数々の思い出の物は、あっというまに私達が見ている前で燃えてしまいました。あの絵は小樽だけでなく北海道の図画工作の授業や他の授業にも大きな影響を与えたと思います。は組の松本先生やクラスの皆さん、ほんまにおおきに、ありがとうございます。
(2023/09/02 21:03:12:塩田實津男)