私は、昭和43年 (1968年) 4月に入学し、1年生の1学期の間だけ在校しました。夏休みの間に、父の事業の都合で、急遽、クラスに挨拶することもできず、関東地方に転出しました。
体育館は確か完成したばかりでした。1年生だったからか、体育の授業で使った記憶はありません。6月だったか、映画会があって「北海道物語」という映画を観せて頂きました。教室に還って、担任の山田きく子先生から「なんていう題の映画やった?」と訊かれ、手を挙げて得意気に「北極物語!」と答えて、1年3組のみんなに笑われたことを憶えています。
毎月1回、校舎から飛び石を渡った先にある、体育館の玄関ホールが、学研の「学習」「科学」の配付所になりました。親に代金を入れてもらった封筒を握りしめて、本をもらいに行った記憶があります。高川小学校が開校する年で、1学期の間だけ、高川小学校に分かれていく各学年2クラスが一緒でしたので、児童数は相当なものでした。学習雑誌の配付所には、朝の短い時間に、その全学年の購読生が集まるので、とても混んで混乱していて、怖い思いをした覚えもあります。雨で上履きが濡れて、泣きそうになったことも。
転校先の田舎の小学校は、木造校舎にボットン便所で、体育館はありませんでした。豊南小学校の校章入りの体操服をそのまま使わせてもらいながら、新しい友達に「コンクリの立派な体育館があるんやで」と自慢して、「嘘だ!」と言って大阪弁とともに笑われました。
豊南小学校の体育館絡みの思い出は、私の最も古い黒歴史の記憶でもあります。
(2024/11/06 22:35:44:1の3 まつだ つよし)