福井県立若狭東高等学校の教室

懐かしい福井県立若狭東高等学校の記憶を共有するページです。

福井県立若狭東高等学校の教室

福井県立若狭東高等学校の教室での懐かしい想い出をつづってください懐かしい想い出をぜび皆さんと共有してください。例えば教室にあった不思議なものや風景など教えてください。

福井県立若狭東高等学校
教室の思い出

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例)暖房器具がなくて石油ストーブでした。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の教室での記憶

教室での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 教室での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
教室建て替え前の校舎の廊下は穴があいて、ビックリしました

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教室3年生の時、当事担任の先生に「人生は死ぬまで勉強、使わないと脳のシナプスが減っていく」と仰っていました。聞き流していましたが今はやっとその意味が分かりそうです。自分の教訓です。

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教室僕らの世代は、今みたいに文系と理系にクラスが分かれることがなかったので、2年から3年に上がる時はクラス替えがありませんでした。3年に進級しても、教室で回りにいる人は全く同じでした。

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教室1975年(昭和50年)4月野庭高校第一期生の入学式。生徒数はわずか180名でした。クラスも4クラスしかありませんでした。校舎もなく、現在、南陵高校(当時の日野高校)となっているグラウンドの片隅にプレハブ校舎を建てそこで勉強していました。2年生になれば野庭町に新校舎ができる予定でしたが、建設業者が問題を起こし工事は中止となり、完成したのが、3年生の2学期でした。

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教室中庭で友人たちとダベッていたのが印象に残っている。

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教室初キッス

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教室先輩方に申し訳ないですが、かなりやんちゃが過ぎて、上履きがスリッパになってました。廊下を走れないようにする処置らしいです。

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教室地味で陰気なぶすが多かったね。色気全くなし。

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教室賑やか

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教室土屋は医学部に行けず、引きこもりだったよ。

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高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
屋上渡り廊下のベンチに横になるのが好きでした。 通学時の登坂が辛かったですね!

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初恋

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トイレトイレ掃除は教育の一環で徹底的に教えこまれる。来たときよりもキレイにすることに誇りを感じるね。

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体育館ギャラリーがなんか楽しい

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校庭体育の授業でのインターバルがきつかった!

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校庭体育祭を山本晋也監督が取材?に来た。

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感謝あなたのおかげで毎日楽しかった。ありがとう!

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校庭道路両側のバス停近くに喫茶店がありましたね。今はどちらもありません。

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トイレ入学して、水洗トイレでないことにとてつもなくビックリした。

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教室むか~しむかし、昭和の時代。この学校(旧校舎)に「きだ~ら」という国語の教師がいました。ある日の授業で「きだ~ら」は、生徒全員に小さな紙を渡し、「これから、皆の書いた句をつないで俳句(川柳)を作ります。」とその句が書かれた小さな紙を回収し、それらの句を「五七五」になるように組み合わせ黒板に書き出しました。そうして黒板に書かれた俳句(川柳)を見た生徒たちは笑いました。その光景を見ていた「きだ~ら」も、と~っても満足げでした。しかし、一人だけ不満げな生徒がいました。黒板に書かれた俳句(川柳)には全てに彼の名前が入っていたからです。彼の名前を悪ふざけで書いた生徒が数人いて、それと他の句(差別的な用語や卑猥な用語)を組み合わせて「きだ~ら」は俳句(川柳)という名の「悪意」を黒板に書き出し、彼をクラス全員の「晒し者」にしたのです。授業中に黒板に自分の「侮辱」を10通り以上書かれて気分の良い人間などいるでしょうか?しかも、彼は「きだ~ら」に恨まれるような事は何一つしておらず、ただ単に「きだ~ら」の「受け狙い」だったのです。もしも、今の時代にそんな事を教師がして、生徒が「不登校」になったり、「自殺(未遂)」したなら連日報道され、そんな教師は「処分」されるでしょう。しかし、「きだ~ら」はそうはならず、噂では「学校長」にまでなったそうです。今は、何もなければ「定年」を迎えているやもしれません。そんな人間に「学校長」の「辞令」を交付し、高い給料(税金)で雇用し、定年退職ともなれば高い退職金(これも税金)を渡す「北海道教育委員会」は何を考えているのでしょう?一方、「侮辱」を受けた生徒はその後どうなったのでしょうか?彼は

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