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1986年(昭和61年)に黒川地区にあった以下の2校1分校が統合して開校した。2021年(令和3年)には創立35周年を迎えた。伊万里市立黒川小学校(旧)伊万里市立黒川小学校立目分校(立目の読みは「たちめ」)伊万里市立東黒川小学校校章中央に校名の「黒小」の文字(縦書き)を配している。校歌作詞は内山良男、作曲は冨永みさをによる。歌詞は3番まであり、各番に校名の「黒川小学校」が登場する。通学区域住所表記で伊万里市の後に「福田、浦潟、干潟、大黒川、奥野、塩屋、小黒川、浦分、黒塩、椿原、名村団地、清水、横野、立目、牟田、花房、畑川内、長尾、真手野」が続く地域。中学校区は伊万里市立青嶺中学校。
沿革
旧・黒川小学校
1874年(明治7年)10月7日 - 姥賀村に「姥賀小学校」が創立。
1875年(明治8年)3月 - 立目分校を設置。
1887年(明治20年)- 小学校令の施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常姥賀小学校」に改称。
持丸小学校(東黒川小学校の前身)を統合し、畑川内分舎とする。
1889年(明治22年)4月 - 町村制施行により、黒川村立の小学校となり、「尋常黒川小学校」に改称。
1891年(明治24年)- 「黒川尋常小学校」に改称。
1892年(明治25年)- 畑川内分舎が分離の上、「前平尋常小学校」として独立。畑川内長尾寄りに校舎を新築(この時の校舎が1986年の閉校まで存続)。
1906年(明治39年)
2月 - 校舎を改築。
この年 - 高等科を設置の上、「黒川第一尋常高等小学校」に改称。
1907年(明治40年)- 小学校令改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
1911年(明治44年)- 義務教育年限の延長により、収容児童数が増加し、校舎が手狭になったため、校舎を増築。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「黒川第一国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
1945年(昭和20年)- 立目分校校舎を改築。初等科5・6年生を収容開始。1・2年、3・4年、5・6年の複式3学級となる。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)の実施により、国民学校初等科が「黒川村立第一小学校」に改組・改称。
国民学校高等科は青年学校普通科と統合され、新制中学校「黒川村立黒川中学校」に改組された。校舎完成までの間、第一小学校に併設される。
1950年(昭和25年)4月1日 - 「黒川村立黒川小学校」に改称。
1951年(昭和26年)- 黒川中学校の新校舎が大黒川3209番地に完成したため、小学校校舎一部の貸与を終了。
1953年(昭和28年)- 講堂と管理棟舎が完成。
1954年(昭和29年)4月1日 - 町村合併により、伊万里市が市制施行。これにより「伊万里市立黒川小学校」に改称。
1957年(昭和32年)- 第二棟舎が完成。
1964年(昭和39年)- 鉄筋コンクリート像2階建て新校舎(6教室)が完成。
1969年(昭和44年)- 2教室を増築。
1986年(昭和61年)3月31日 - 統合のため閉校。
最終所在地と跡地
本校 - 伊万里市黒川町小黒川279番地1 木造校舎は解体されたが、鉄筋校舎は伊万里市教育委員会 文化財研究室として使用された。
立目分校 - 伊万里市黒川町立目216番地3
旧・東黒川小学校
1873年(明治6年)3月 - 「前平小学校」が創立。
南波多6地区(重橋・水留・古里・谷口・大曲・高瀬)および黒川東部4地区を校区としていた。
真手野の華蔵寺を仮教場とし、間もなく重橋の神ノ原に移転。
1878年(明治11年) - 南波多6地区と黒川4地区が行政区・校区を分離。これに伴い、畑川内持丸田に校舎を新築し、移転を完了。校名を「持丸小学校」とする。
1887年(明治20年)- 統合により「尋常姥賀小学校 畑川内分舎」に改称。
1889年(明治22年)4月 - 町村制施行により、黒川村立の小学校となり、「尋常黒川小学校 畑川内分舎」に改称。
1891年(明治24年)- 「黒川尋常小学校 畑川内分舎」に改称。
1892年(明治25年)- 黒川尋常上学校から分離の上、「前平尋常小学校」として独立。
1906年(明治39年)- 高等科を設置の上、「黒川第二尋常高等小学校」に改称。
1907年(明治40年)- 小学校令改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「黒川第二国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)の実施により、国民学校初等科が「黒川村立第二小学校」に改組・改称。
新制中学校「黒川村立黒川中学校」の校舎が完成するまでの間、第二小学校に中学校分校が併設される。
1950年(昭和25年)4月1日 - 「黒川村立東黒川小学校」に改称。
1951年(昭和26年)- 黒川中学校の校舎が完成したため、併設の中学校分校が廃止される。
1954年(昭和29年)4月1日 - 町村合併により、伊万里市が市制施行。これにより「伊万里市立東黒川小学校」に改称。
1978年(昭和53年)- 2教室を改造し、伊万里市立黒川幼稚園が併設される。
1986年(昭和61年)3月31日 - 統合のため閉校。
最終所在地 - 伊万里市黒川町畑川内2069番地。跡地は林業センターとして利用された。
統合後 現・黒川小学校
1986年(昭和61年)4月1日 - 現在地に新校舎が完成し、移転・統合を完了。新しい「伊万里市立黒川小学校」(現校名)が開校。
隣接地に伊万里市立黒川幼稚園が新設・開園(東黒川小学校校地から移転)。
1995年(平成7年)10月 - 開校10周年を記念し、校地内に「敬愛の森」植樹を実施。
2000年(平成12年)4月1日 - 黒川中学校と波多津中学校が統合され、伊万里市立青嶺中学校が中学校区となる。wikipediaより
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教頭先生(男性)がオルガン弾いてくれた。 (2017/04/19 15:00:34:名無し) 5、6年は「めんぶりゅう」←漢字忘れた (2018/10/11 10:55:58:名無し) せんだんの木。 (2017/04/19 15:14:36:名無し) 保健室の奥が購買? (2017/04/19 15:15:44:名無し) 砂利道を、たしか裸足で…
(2017/04/19 14:59:01:名無し) |
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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