例)夜になるとトイレにお化けが出るといううわさがありました。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白トイレ: | 学年が上がるにつれ小さくなる |
トイレ: | 男子が女子トイレに1mm入ったという噂があります |
トイレ: | 低学年のとき、「怖いから・・・」という訳のわからない理由から、友達同士2~3人でトイレに入って順番にする(一人がしてる時は他の人は後ろ向きに目をつむる)のがグループのマイブームだった時期があったが、そのうち担任に見つかりこっぴどく怒られた。 |
トイレ: | 一番右の小便器は穴がそとにあいていました |
トイレ: | 教頭(岩澤)が、三階中央 女子トイレに隠しカメラを設置した。そして、捕まった |
トイレ: | 一輪車楽しいよ |
トイレ: | 体育館は工事してあるのでどこの学校よりも綺麗 |
トイレ: | いつも大便が流れてなかった(笑) |
トイレ: | 汚かった。ムカデがよくいた。 |
トイレ: | 男子トイレに落書き見つかって先生激怒 |
音楽室: | 鶴原先生! ハッキリとお今でもお顔を思い出せる先生です。 ↑そうです!(笑)『高い音は頭のてっぺんから抜けて出る様に‥』っていつも言われてましたよね。それと『口を両横に‥』も 口癖でしたよね。『笑う時の口よ~!』ってね。 私は、上高からの分校で2年生~西高になりました。音楽の授業は3年生から専門の先生でしたが、2年1組だけは男の先生(村上先生)で音楽が✖️だったので? 特別に鶴原先生の授業で✌️ 男子が持参した『およげ!たい焼きくん』のレコードを時々聞かせて貰っていた記憶が‥。4~5年生?の頃には『ちこたん』が皆大好きで。(魚屋さんの息子が好きだった女の子が トラックに引かれてしまう)可哀想な歌だったのですが、皆で度々、おねだりして‥。皆が静かだった時の[ご褒美]とかでよく聞かせて貰っていました。懐かしい! 子供の頃に聞いた歌って残るもんですね。今でもメロディーも歌詞もちゃんと浮かんで来ます。 先生も皆もどうしてるかなぁ。 |
屋上: | 卒業式の前日みんなで屋上でブルーシートを敷いて給食を食べました。その時ジュースも出ました。 |
校庭: | ちょうど、校舎の建て替えで、プレハブ校舎で、校庭が、使えなかったなあ。 |
入学式: | 入学式に 同級生5人で桜の下で写真を撮りました(*^^*) 親の都合で転校してしまいましたが ここの先生やお友達皆が家族みたいで一番好きな学校でした。皆が元気に過ごしていますように(*^-^*) |
教室: | 4階から上は、特別な教室だった。 |
教室: | 石炭ストーブでした |
感謝: | 三木 恭子先生へ 入学当初から卒業まで見守っていて下さってありがとうございました。もう、定年が近いと思われますが、大好きです! 色々ご迷惑をおかけしてすみませんでしたw |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
音楽室: | 音楽室はでそう。 |
恋: | 好きな人には,名札を渡すと恋が叶う |