例)バレンタインのチョコが入ってたことがある。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
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恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白下駄箱: | ある男の子、代わりにTさんとしましょう。その人の下駄箱に何と… アレが入っていました…結構な噂になって、「した」相手が私だという噂も流れ…散々でした。 |
下駄箱: | 良く、ラブレターを好きな相手の下駄箱に、いれてた、! |
下駄箱: | 防犯カメラが設置されました。 |
下駄箱: | 下駄箱の先に当時としては珍しい、らせん階段が二階まで伸びていました。 |
下駄箱: | 端にかなり大きな落し物箱があって、忘れ物とか借りてた |
下駄箱: | 投稿した新しい校舎の下駄箱との所で クラスの男子2人がガチの喧嘩をしていた。「盗難が発生しました」と書いた黒板が置いてあり 6年なのに盗難の意味が分からず なんかの動物が虫が発生したのかと長年思っていた。 |
下駄箱: | テレビとかマンガでよくある下駄箱に女子からのラブレターとかバレンタインのチョコが入っていた事は一度もなかった。 |
下駄箱: | そんなもの無い! |
下駄箱: | 下駄箱で掃除しながら喋ってたら先生見つかったww |
下駄箱: | チョコは少しだったけど初恋の子にお呼ばれしたけどセンチだった俺は女の子に慣れていずに話せなかったのが辛いですね。 |
恋: | 有名 |
怪談: | 宿泊学習だったかな、イベントの一つとして夜はマイムマイムを皆んなが踊ろうという話になっていた。私も大好きで皆んな元気よくとても盛り上がって、その時に先生方が思い出として皆んなの写真を撮っていた。楽しい無事宿泊学習は終わった。後日、先生が撮った写真を写真屋さんに注文するから各自欲しい写真がある人はお金を封筒の中に入れて出してね。そう言われた。廊下には撮った写真が大きな紙に全て印刷されており、私も他の子も欲しい写真を見つけるために見ていた。その時、私は見てしまった。あの夜皆んなで楽しく踊り写真に笑顔でこちらに顔を向けていたのに、丁度踊っていた2人の間の真後ろに写り込むかのように青白い手がピースを作っていた。他の皆んなは健康な小麦色の肌をしているのはに確実に1人だけ肌の色が違う。しかも手首から下はなく、その手だけがただぼうっと浮いていた。見た瞬間に怖くなり、友達もお化けだと騒いでいる。もちろん、私はお化けが苦手なのでその写真は注文しなかった。今日高校の友達とそういう話になったので記念に投下。あの時、写真を注文していればもうちょっとネタに出来たかなと思う笑他にも1年生の教室の廊下の天井に数歩続いた足跡があったりと中々癖が強い学校だが、そんな記憶も今では懐かしい。 |
恋: | みんな中学生になると垢抜けた |
教室: | 卒業後23年たったころ訪ねてみたが、運動場側の校舎はつっかい棒で支えられて惨めだった。 |
プール: | 別のクラスの担任だった年配のテラジマ先生(女性)が、「先生は泳げないからお前たちは泳げるようになるように教えてるんだよ!!」と叫んでいたのが忘れられません。 |
プール: | 常設のプールはなく、プールは組み立て式で夏休み終了すると解体してた。シャワーする所や体の消毒する(浸かる)槽もありました。夏場は運動場かなりせまくなります。 |
プール: | シーズン外には、魚が放流されてました。勝手にですが |
校庭: | そんなに広くないよ? |
音楽室: | 結構広くて、段差のある昔ながらの音楽室。 |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |