例)下駄箱の上には人文字の航空写真がありました。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白下駄箱: | 校舎前で、毎日荷物検査してた!先生達大変でしたね。お疲れ様でした。 |
下駄箱: | 卒業する年のバレンタインデーに、好きな先生の下駄箱にチョコレートを入れた思い出があります。本当は手渡ししたかったのですが、先生がお休みだったので(笑) |
下駄箱: | 1人ずつロッカーあったんですが、教科書辞典入れになっていましたね。夜間高校もあったので教室には置けなくて。 |
下駄箱: | とにかく1200名分の下駄箱ドーンと学年単位で並んで居ましたそこに入る入口正面玄関は思い出してもため息が出るほど幅広く透明で綺麗。でも残念ながら卒業式の時サイドガラスが透明を通り越しスドウリあまりにも綺麗に磨いて下さり生徒の方が突進痛かったでしょう防弾ガラス高かったでしょう? |
下駄箱: | 靴を履き替えるときは、画ビョウないか確認してたぜ |
下駄箱: | 入って両側に鏡あり、どちらかを正面に見ると逆側の鏡に誰も写ってない不思議な現象あり |
下駄箱: | 稔に下駄箱は存在しない |
下駄箱: | 下駄箱のラブレター。ありがとう。帰り下駄箱の前でさよならのキス。今は懐かしい思い出。あのときの彼元気かな? |
下駄箱: | 下駄箱のところで、話しながら一緒に帰る人を待っていました。時にはお手紙が入っていたり•*¨*•.¸¸☆*・゚懐かしいですね。自転車だったり歩きだったり。 |
下駄箱: | スリッパや革靴に履き替えたりととにかく、下駄箱の前にはたくさんの人がいました。 |
運動会: | 1年の時は民謡、2・3年の時は、ダンスを踊った。民謡は、八木節だったと思う。花笠を作った覚えがある。練習大変だったなー。 2年のダンスは、水色のキャップをかぶり、「だんだん心ひかれてく」という曲で踊った。3年は、洋楽で踊った。曲名は、「ココジャンボ」?っていう曲だったと思う。 |
教室: | 問題起こした生徒が登校する反省部屋がある。席の横の壁に歴代問題生徒の殴り書きがあった |
恋: | 体育の先生を狙ってる人多かったなー‼️あと彼氏のお迎え❤️ |
保健室: | 初カキコ…ども… 俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは 今日のクラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか ま、それが普通ですわな かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。 好きな音楽 eminem 尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO) なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ |
文化祭: | 一年生の時の文化祭はあまり記憶がありません。2年生になって初めて「科学部」なるものの活動が認められ部員6人でスタートしたものの何を文化祭でやろうかと、さんざん悩み鉱石の分析試験管を並べたり、図化して模造紙を教室に張った事があります。しかし部員からあまりに地味と意見が出てならば「紙粘土で火山を作りペンキや絵の具で彩色し、真ん中に火口を作り噴火を模擬する。」が採用されそんな時に神の助けか、白衣が届き学者気分でそれを着て火山活動を再現させる為、アルミ粉やさまざま調合しミニチュア火山を噴火させ好評を得た文化祭だった遠い学生時代の思い出です。薬品を調合することも火力を使うことも、電気発火させることものびのびとやらせてくれた、今では「危ない、危ない!!!」と過保護すぎる世の中なのに、私の時代は「発想」と「研究」を本当に大事にしてくれた「花工」でした。タイムマシーンがあるなら「戻りたい。」楽しい学生生活でした。 |
感謝: | 栗原裕子先生(古文)ありがとうございました。 |
トイレ: | 入学当初は、入口がドアではなくカーテンだったのはへこんだけど、月日が経つにつれて慣れてきました。 |
怪談: | 旧校舎の一番上の階の女子トイレ、16時に鏡を覗き込むと真っ白い顔の女の人 |
運動会: | ワンズ体操 |
卒業式: | すべり止めの有名私大の合格は決めていたが、“本命”の国立大の二次試験が間近という状況ゆえ、当初は余り感傷的にはならなかった。しかしある一場面がそれを変えるきっかけに…。朝の登校時から粛々と式典への段取りが進められて廊下整列を終えた時に、体調が優れずも証書を授与される(初代)校長先生が横を通られ、我々一人ひとりに『おはよう。今日は卒業おめでとう。』と声を掛けられたのだ。その温かい言葉を境にどんどん“名残惜しく”なった。その上で卒業式では、この3年間の不良振りにも関わらずここまで来れたことへの謝罪と感謝の気持ちや、4月から大学生に相応しい成長を遂げねばとの“決意“から、身が引き締まる思いになった。そして式後にはこのHRをもってクラスメイトが全国の大学に散らばっていく淋しさをも覚えたが、いつか再会して「しっかりやっている姿」を見せられる日が来るまで頑張らねばと思いつつ母校から旅立った。(卒業から28年。まだ5名の仲間と再会できていない。) |