当別町立東裏小学校の下駄箱

懐かしい当別町立東裏小学校の記憶を共有するページです。

当別町立東裏小学校の下駄箱

当別町立東裏小学校の下駄箱での色褪せない記憶を書き残してみませんか。懐かしい思い出を是非皆さんと共有してください。
例)下駄箱にはどんなものがありましたか?
  下駄箱の上に何か飾ってありましたか?
  下駄箱でラブレターもらいました?
  例えば下駄箱にあった不思議なものや風景、噂になっていた怖い話など教えてください。
  

当別町立東裏小学校
下駄箱の思い出

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例)下駄箱にラブレターこっそり入れました。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

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想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

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他の小学校の下駄箱での記憶

下駄箱での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 下駄箱での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
下駄箱学年ごとに色が違うから、可愛かった!
下駄箱とにかく広い玄関で生徒がたくさんいた頃が懐かしいです。
下駄箱他の人の下駄箱に入っていたラブレターを、友達と見つけてしまい、友達が勝手にとって、ラブレターを読んでしまいました。
下駄箱ぼくは転勤族の家庭に育って4年生になる時に神戸の高羽小学校に転校して来たけど、それまでいた学校と違う事がたくさんあって、いろいろびっくりした。これまでは1年生の時の小学校も、2,3年生の時の小学校も、校舎に入ると下駄箱があって上履きに履き替えて上がるのが普通だった。それが神戸の学校では、靴のままで校舎に入るようになっていて、下駄箱というものはなく上履きという物も必要なかった。最初は違和感があったけど、校舎に入る時や出る時に、いちいち履き替える必要がなくなって便利になり、すぐに慣れた。その後高校卒業まで9年間神戸に住んで、中学も高校もそうだったので、すっかり「校舎の入口に下駄箱などという物はない」のが普通に感じられるようになってしまった。
下駄箱木造の校舎懐かしいなぁ!牛乳バックでハガキ作ったりしたなぁ!
下駄箱下駄箱に置いてたら、上靴切られた。
下駄箱下駄箱は踵を揃えることを意識する生徒が多かったです。委員会などのポスターなどがはってあるのでとても賑やかです!木なのですこし壊れてます。
下駄箱
下駄箱私も今年卒業しました。本当は、且格小学校で卒業出来るはずだったけど… おめでとう
下駄箱好きな人にチョコやるばよかったな。

小学校での他の場所の記憶

他の小学校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
卒業式卒業式みんな泣きすぎて何歌ってんのかわかんなかったなww
トイレ私が小学生の頃は 便器にウンコがついてました
告白今日誘うけど、来なかった。初めてです。誰も誘うっていません。
プール在校中プールがありませんでした。(^O^)
保健室調子を崩して保健室にいき、家に帰ることになると、近くの花岡医院にいくのが定番だった。
感謝家庭科の飯田先生、卒業アルバムの刺繍がうまく行かないところを何度も何度も修正していただいてありがとうございました。先生の授業はとても楽しくて、卒業から40年以上経った今もふとした時に思い出します。
飼育小屋ウサギ飼ってた。でも夜中に逃げ出してトイレに落ちて。。。かわいそうだったなぁ。
校庭運動会でお昼ご飯時が楽しかった
プールコンクリートのプールが、綺麗にビニル?コーティングされて新しくなった…のはいいが、ロッカーで滑って後頭部強打して一瞬記憶飛んだ。 プール竣工記念のホチキス、まだ持ってるわ。
体育館体育館なんて洒落た呼び方ではなく「講堂」だった。当時、多動で落ち着きがなく所謂「発達障害児」であった自分は担任の中年女性教師から当然の如く嫌われ、田舎特有のキツいいじめの渦中にあっても完全にスルーされていた。そんな中、初めての「学芸会」。クラスの出し物は「花さかじじい」のお芝居だったが、私は裏方すらやらせてもらえず、練習時も校庭に追い出されていた。発表当日、おそらく保護者なども観に来て賑やかな声を聴きつつ、講堂の裏手の百日紅の木にもたれてひたすら時間を潰した。母には学芸会の話はしなかったので、来る事は無かった。こっそりくすねた小道具の、金の折り紙の貼られた紙の小判をためすすがめつ眺めたりして、ただひたすら長い長い暇を潰した。もたれた埃っぽい壁の背中越しに、大勢の拍手と笑い声が響いていた。風が吹くと頭上からひらひらといくらでも舞い散ちて来る細かなフリルの小さな小さな桃色の花弁を、今も鮮明に覚えている。穏やかな日差しの、良く晴れた日だった。


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