熊本市立砂取小学校の伝説

懐かしい熊本市立砂取小学校の記憶を共有するページです。

熊本市立砂取小学校の伝説

熊本市立砂取小学校学校に伝わる伝説的な逸話、例えば物凄い特技を持った生徒がいた、すごいことを成し遂げた/やらかした人がいた、超絶人気のある先生がいた、有名人が来た、テレビ撮影があった、ドラマに使われた、宇宙人が来た、学校の地下には秘密基地がある。。。などなど。ちょっと嘘っぽい話でも、あなたが知っている学校に伝わる伝説を教えてください。

熊本市立砂取小学校
伝説の思い出

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例)学校に伝わる伝説・逸話










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

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想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の小学校の伝説での記憶

伝説での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 伝説での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
伝説怒られた時は必ずと言っていいほど前に出てきて謝ってくれる学級委員
伝説いつの授業で、とかは思い出せないけど…。クラスの皆で多摩川に行った時、ウドちゃんに会ったことは覚えてます。ウドちゃんだ!って気づいて、手を振ってもらったような記憶が
伝説在学中いじめがあった(30年以上まえから26年前)教師にばれないようにやってたが、たまにバカが屋良かして学級会議になる。ワタシは立たされて、思い出したくもない、されたことを言わなければならなかった。それは先生には届かなかった。うわべだけの同級生からの謝罪があり、そのご復活しても知らんぷり。5年生か6年生のときに「いじめ自殺」が流行ったが、なにも変わらず。ある先生は「あなたにも原因があるんじゃない?」とか言ってきた。この時から大人を信じなくなった。このいじめは中学まで続くことになった
伝説1つ下の学年に子役がいた。同学年にはキッズモデルやスケートの選手などがいた。
伝説昔、とある公園で頂点に制した人がいましたね
伝説かぼちゃプリンまずかった。
伝説
伝説クラスも2クラスしかなくて、私の担任の先生は吉岡先生、あの当時50歳くらいだったかな?厳しい先生でした
伝説当時在学中、日曜日になると仲間達と集まり小学校の地下防空壕を探検しました。
伝説定規・ものさしを合計8本折った記録達成

小学校での他の場所の記憶

他の小学校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
校庭雲梯と砂場の中間に在った水飲み場。 6年生の卒業作品の石膏像の台座となり、使用できなくなった。 体育倉庫と滑り台の近くに、ものすごく立派なヒマラヤスギがあり、自分の中では「杜松杉」と思っていた。
校庭入り口にイチョウの大きな木がありました、
職員室5、6年の時の担任のが、理科、図工、音楽、体育が嫌いなので、その全てが、国語または社会に変更された。 理科図工音楽体育は小学生にとっては最も楽しい授業だったはずが、5教科に変えられてしまったので実に楽しくない小学校生活だった。今でもその4つの教科が受けられなかったことを残念に思う。 今の時代だとニュースになると思う。
卒業式山下谷と門八の間に墓場がありました。その区間は一面水田ばかりで人家は見当たらず小高い丘の上に墓場が見えました。お葬式があったりすると新しい卒塔婆が見えたりして怖かった。気になると余計見てしまうもので今何か白いものが動いた気が。
図工室お前
教室昔は6年間同じ机を使った気がする。
理科室手書きのカエルの解剖図が印象的でした。
校庭とにかく狭い!あと里山とタイヤの遊具はもう無くなりました。
運動会の時、校舎の裏で小6で一個上の男子に告白した。あと照れてるうちにキスできた!
校庭この小学校6年生だった昭和20年代後半のこと、男子は他の小学校とたびたびソフトボールの試合がおこなわれた。(女子はきっとドッジボールの試合があったのだろうと思うが思い出せない)。当時、谷一は守備もすごくうまい選手が多かったが、打撃ではすごい選手がいた。S君、I君である。彼らはスターだった。とんでもなく遠くにホームランを打つので、相手校の先生(監督)はすべてボール球をなげるよう指示していた。それでも彼らは踏み込んで遠くに飛ばすので、その次には、すべてゴロを投げ、フォアボールとして一塁に出していた。こんなことをしても、我々に勝てるわけないよと笑いながら、応援していた。その日の試合は、接戦ではあったが、結果的に負けてしまい、本当にがっかりし、とても悲しかった。家に帰りながら思ったことは、対等に立ち向かえない相手には、作戦というものが必要なのだということであった。谷一ホームページ見つけて、校庭について何か投稿しようと思ったとき、こんな些細な出来事を思いだした。


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