例)体育館の壁ってぽつぽつ穴が開いていたけどあれって防音壁だったんですね。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白体育館: | 吹奏楽部だったからね。 |
体育館: | 自校体操←漢字合ってるの?笑 |
体育館: | バスケ部専用体育館、バレー部専用体育館 |
体育館: | なぜか盛り塩がある |
体育館: | 私は、砂川高校の生徒でなくその後の砂川支援の生徒です。体育館はとても広いです! |
体育館: | ギャラリーがなんか楽しい |
体育館: | トレードマークですね。初めて来た時、みんなで体育館の片側に寄ってみて「体育館が落ちる〜!」とはしゃいだのを思い出す。 |
体育館: | 尼産卒業生の井上 竜夫さん(故人)が谷しげるさん(ご健在)との漫才コンビ「ざ・どっきんぐ」で体育館で漫才をされた。 |
体育館: | 文化祭でバンド演奏したっけ。学校初?の、アンコールをもらったな…ワイルドなドラマーとか言われて嬉しかったなぁ… |
体育館: | 毎年2月の一般入試(学力試験)の前の日になると、1年生・2年生はクラスの机と椅子を体育館まで持っていき、入試会場の体育館へと運ぶ。誰の机と椅子か分からなくならないように、クラスの名前(例:1B=1年B組)を書いた(印刷した、プリントしてある)小さい名札より少し大きい名札大(なふだだい)の紙を机の正面(引き出しの反対側)と椅子の背もたれの板に貼る。しかし、名前やイニシャルが書いてあるわけではないので、私は高校1年生のころ赤ボールペンでイニシャルと出席番号を書いてあげた。みんなびっくりしていたが、これにより混乱は避けられた。(1年生・2年生のみで20クラスぐらいあるので、だいたいそれくらいあれば志願者には対応できる。3年生の教室は3年生が家庭学習期間でもあるので、行わない。) |
感謝: | 丸山雪子先生(英語)、大好きです❤ありがとうございました。 |
教室: | 3年の時は39人だったのでものすごく勉強しやすかった。 |
運動会: | フォークダンス出れなかった |
職員室: | 理科の先生が可愛いくて眺めてた |
教室: | どれくらいの期間だったか忘れたが、校舎頑丈にするためとエアコンを取り付けるために、プレハブ校舎に一時期移り授業していた。 |
伝説: | 1年当時、昼休憩になったら3年生から1年生(1組み順に)男子生徒が呼び出され、体育館中の更衣室内でのシメが伝統だった。 |
音楽室: | 吹奏楽部でした。私は、トランペットを吹いていました。あの頃に戻りたい。秋の朝の序曲、忘れません。 |
教室: | 3年間1クラス女子ばかり10人・・・・・ |
教室: | 学校の前にある牧草畑?がすごい勢いて燃えてきました( ̄▽ ̄;) 3年間て一番ビックリ |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |