例)夜になると保健室にお化けが出るといううわさがありました。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白保健室: | インフルなった時死ぬかと思った |
保健室: | ソフトボールで目を怪我しました 保健室の先生が前より怖くなったような気がしましました❗ |
保健室: | あまり入った記憶がない。身体検査をしていたのがここだったのかな? |
保健室: | 冷蔵庫のシューアイスとか食ってました。 |
保健室: | ↓↓これmeです! |
保健室: | やあ!保健室に遊びに行ってたマークだよ! |
保健室: | 検便はマッチ箱に入れて提出していました。マッチ箱が無かったので適当な箱に入れて提出したら先生が詰め替えたと言っていました。先生ゴメンナサイ。 |
保健室: | 保健室の先生は近藤先生。保健室の隣はパーテーションで区切られて大宝幼稚園。保健委員が肝油ドロップを取りに行っていた。 |
保健室: | 先生優しかった |
保健室: | 泣きながら行って保健室でもこけました |
下駄箱: | クラスの書いてある板があった。(卒業生作) |
恋: | 長町小学校では、イケメン&美女が多から、皆初恋が早い!私も好きな人がいて振り向かせたいから頑張ってるよ! |
謝罪: | 4年2組問題の犯人は私ですぅ |
保健室: | 運動会の練習で、女の先生とぶっかり、右足が擦り傷ができ、血が出て、初めて保険室に、連れて行かれた。まだ、低学年だったから、怖くて、入りずらかった。保健室の先生、今日わいかったなぁ^_^ |
卒業式: | 庄司先生の奥さんが作ってくれたオニギリと味噌汁今でも1番美味しいご馳走だったよ皆貧乏だったけど庄司先生の生徒達への気持ち感じました心からありがとうございました |
職員室: | 私の担任の先生の体験談です。 風が強いその夜先生は残業で1人でした。先生の後ろは校庭に出られるドアでした。なので風が吹くたびうるさかったそうです。 ふと、気が付けば11時すぎでした。帰ろうかなと思った先生は椅子から立ち片付けをしてました。そしたら後ろから「ドン!!ドンドン!!」と、ドアを叩くような音が聞こえたそうです。先生は早く帰りたかったらしく気にはしませんでした。やっと片付けも終わり帰れると思ったその瞬間「バン!!バン!!あ…け…ろ…」そう言われた気がし、思い切ってドアを開けたら誰もいませんでした。はぁ…疲れてるのかな…と思った先生は帰ろうと思い歩き始めました。そしたら電気がチカチカと点滅し始めました。先生は今度はなんだよと思い辺りを見渡しました。その時電気が消えてしまい、先生は動く事ができませんでした。するとまたあの声が聞こえてきます。「バン!!バン!!あけて…く…れ…」声を聞いた先生は叫びました。電気が付くと先生は何故か自分の席の前にいました。先生はおかしいと思ったのか、怖かったのか後のドアから逃げたい気持ちでいっぱいだったそうです。そしてバッと後ろを向いてドアを見たらそこにはくっきりと誰かが叩いた後がありました。ハッと気がついた時には自分の部屋で朝になっていました。先生は夢だと思い学校に行きました。そして学校につくと手形はまだ残っていたそうです。 |
怪談: | 夜に理科室に行くと謎の光が浮いてるらしいです |
音楽室: | 音楽嫌いだったかな? 音痴だったから |
保健室: | 保健室の佐藤愛子先生は美人で優しくて大好きでした。憧れて保健室の先生を目指しました。 |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |