兵庫県立淡路高等学校の保健室

懐かしい兵庫県立淡路高等学校の記憶を共有するページです。

兵庫県立淡路高等学校の保健室

兵庫県立淡路高等学校の保健室での様々な思い出を教えてください。あの頃の懐かしい思い出をぜび皆さんと共有してください。例えば保健室にあった不思議なものや風景、噂になっていた怖い話など教えてください。

兵庫県立淡路高等学校
保健室の思い出

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例)夜になると保健室にお化けが出るといううわさがありました。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の保健室での記憶

保健室での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 保健室での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
保健室あまり行ったことがありません。それだけ健康だったということ。
保健室仮病を装ってふかふかベットでうたた寝した記憶が・・・。
保健室生理がひどい時、お世話になった。
保健室禁止物を預かってくれる優しい先生がいた。
保健室私服だったので六本木で遊んで朝方そのまま学校へ。シャッターの前で寝てると用務員のおじさんが起こしてくれて保健室の鍵開けてくれた。そのまま保健室のベッドで授業始まるまで寝てたなあ(^^)
保健室家に帰りたいとき
保健室保険の先生って2年の時にバイクの事故で亡くなったんだよね…
保健室女子校なのに男子の変な書き込みが多いです。どなたも確認していないのですか?
保健室休まる場所で先生も相談乗ってくれて良かった
保健室浮羽東高校創立1年目の2月に就任しました。校歌もなく、此から造り上げて行こうと、活気に溢れていました。熊抱校長、菊池教頭両先生はとても人格に優れた先生で、社会人としての出発点でその後の人生に大きな影響を受けました。

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
伝説安全靴で蹴るなと言われたがつい蹴り合ってた。そして注意されながら先生に蹴られた
陸上競技部の部長さんが好きでした。 話をしたこともありませんでしたが、卒業式の日に花束を渡しました。
体育館演劇クラブで毎日練習してたなぁ。
校庭25kmのマラソン大会に向けて、グランドを走った。
教室3年間1クラス女子ばかり10人・・・・・
校庭校舎の崖側に生徒園という庭園があって 女子が話すのに格好の場所だった。用務員さんがしていたのかと思うがよく手入れされた園だった。秋には秋桜は咲いていたのを今でも思い出します
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!
教室科目毎の教室移動が多かった。雨の日は嫌だったなぁ
音楽室音楽を選択してなかったから、一度も行ったことがないような……。
体育館それは理科室


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