例)入学式に遅刻してしまい大変でした。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
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感謝 謝罪 告白入学式: | 高校1年生、初めて花輪線の機関車が引く列車に乗り大舘駅で花岡線のジーゼル列車に乗り換えやっと、たどり着いた学校。クラスに入ると授業開始前にドカドカと先輩(2年生)がクラスになだれ込み「お前ら、返事が足りないんだよ。」とまず焼き入れ、皆は「シーン」ただただ下を向いているだけ、やがて朝礼の時1年生はいち早く「体育館」に集合。そこで先輩から、校歌を教示されるが半端な歌い方ではなかった、後ろに反り返り体育館の天井を見ながら大声で歌う。1週間は続いたかな・・・今思えばシゴキでなく早く花岡工業高校(大舘工業高校の前進)の男たれの先輩たちのはっぱだったかもしれない。体育館は「妙に天井がたかかった。」檀上には「番長高谷氏」が学ランに首から茶色のぶっとい組紐をぶら下げ、「俺は男だ。」を誇示していた。体育館は「男」を気づかせる場所だった。そして板敷の廊下を「番長」が足駄(下駄)を履いてお伴を引き連れながら体育館に入ってくる青春の時代であった。男臭さのプンプンする「花校」が懐かしい。今の時代のような陰湿なイジメや派手さのない筋の通った学校で勉強出来た青春だった。先生もみんな筋が通っていた。白は白・黒は黒・・・灰色はない。強烈な個性の集まり「花校」のような学校が復活すればいいな。と思う昨今だ。 |
入学式: | 上級生の間を行進する顔合わせ式みたいな行事があり、その後生意気そうなヤツは呼び出されボコボコ |
入学式: | 入学式、校歌とか、在校生の方々が歌わない。入学して、それがある意味伝統にw |
入学式: | 入学式は毎年4月10日。 |
入学式: | 入学式は人が凄く多くて、びっくりしました。また、校長先生?の話が長すぎて眠くなりました |
入学式: | 1期生です。入学式の日にもまだ工事が終わってない建物が有りました。 |
入学式: | 浅里由美子さんと須貝美和子さんを探しています |
入学式: | いぇい |
入学式: | 1993年4月 |
入学式: | ほとんど知る人がおらず困惑でしたでも今を思い出すと高校の時ばかりです |
トイレ: | いじめがあった |
教室: | ロッカーを開けるたびにGが出てきます |
怪談: | こんにちは。在学制の皆さん安房西には神様がいます。恋に勉学に励まれてください。必ず成功するとは言えませんが道は開けますのでくじけても諦めないでね。 |
体育館: | 勉強は、できなかったけど、部活は楽しかったです\(^o^)/ |
教室: | 当時の特進科の教室は、新校舎内の冷暖房完備という恵まれた環境とは程遠く、教卓の横の1つの丸型石油ストーブしかなかった。その教室での3年間も、授業中に遊んでいるか・仲間と雑談に興じているか・模擬試験を受けているかの3つぐらいしかした記憶がない。しかし今にして思えば厳冬の中にあって、休み時間には暖を取るべく集まり昼近くになると周りに全員の弁当が並んでいた“1つの石油ストーブ”の存在を通して、まだまだヤンチャだった頃にしていたことの数々を時おり慈しむ様に思い出す。 |
職員室: | 印象に残る先生方(昭和30年代); (1)A先生;生物の先生、これがいわゆる原形質いうものであるなんて唾を飛ばしながら用語を力説説明した。一番前に座っていた私はしばしば唾の攻撃を受けた。 (2)ぐあいちゃん:古文の先生。先生の本名は忘れたが、どうしてか知らないが、皆から 具合チャンと呼ばれていた。特徴のある声で古文を読み、とても愛嬌があったので皆に好かれていた。 (3)C先生;国語の先生、授業が始まるとすぐ、ショートの漢字の読み書きのテストをした。きっと皆が漢字を覚えていなかったからだと思うが、結構これで漢字を覚えたのだろうと思う。この先生、ある時、これこれはしなくてよいと指示した。学生の一人がしなくてもよいのだから、してもよいのですよねと言ったら、しなくもいいんだと強い口調になり、その後エンマ帳を出して、‘誰だお前は、名前をいえ’といって名前を書き込んでいた。その後しばしば何か印象がある学生がいると、すぐエンマ帳を取り出していたので皆に怖がられた。 (4)D先生: 3年の時の国語の先生、‘いい国だなー大和の国は‘などと大声で本を読みあげていた。ただし僕は国語の時間あまり好きでなかったので、別の教科の参考書を見ていることが多かった。回ってきた先生に見つかったが、受験勉強は大変だねといってよく見逃してくれた。 (5)N先生:英語の先生。1年と、3年で教わったが丁寧なわかりやすい授業と、ひとつの単語が出るとは派生語も例題も詳しく説明してくれた。外見も大変穏やかで、高校では当時一番感じの良い先生だった。一年の時、夏休みの補習授業で、ちょっと褒めてもらいそれからは英語がかなり好きになった。その後も同窓会でお会いしたことがあるが先生の穏やかさ、あたたかさは少しも変わってなかった。 |
トイレ: | 古~い成田闘争のポスターが貼られたまんまになってた。 |
職員室: | お世話になりました |
入学式: | 高校1年生、初めて花輪線の機関車が引く列車に乗り大舘駅で花岡線のジーゼル列車に乗り換えやっと、たどり着いた学校。クラスに入ると授業開始前にドカドカと先輩(2年生)がクラスになだれ込み「お前ら、返事が足りないんだよ。」とまず焼き入れ、皆は「シーン」ただただ下を向いているだけ、やがて朝礼の時1年生はいち早く「体育館」に集合。そこで先輩から、校歌を教示されるが半端な歌い方ではなかった、後ろに反り返り体育館の天井を見ながら大声で歌う。1週間は続いたかな・・・今思えばシゴキでなく早く花岡工業高校(大舘工業高校の前進)の男たれの先輩たちのはっぱだったかもしれない。体育館は「妙に天井がたかかった。」檀上には「番長高谷氏」が学ランに首から茶色のぶっとい組紐をぶら下げ、「俺は男だ。」を誇示していた。体育館は「男」を気づかせる場所だった。そして板敷の廊下を「番長」が足駄(下駄)を履いてお伴を引き連れながら体育館に入ってくる青春の時代であった。男臭さのプンプンする「花校」が懐かしい。今の時代のような陰湿なイジメや派手さのない筋の通った学校で勉強出来た青春だった。先生もみんな筋が通っていた。白は白・黒は黒・・・灰色はない。強烈な個性の集まり「花校」のような学校が復活すればいいな。と思う昨今だ。 |
卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、私は、これっきり限り、かおり友の会を、やめさせて頂きます。かおり友の会の皆様、さようなら。 |