例)卒業式に親友たちと別れるのが名残惜しかったです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白卒業式: | ますくはずしたくなかった!!! |
卒業式: | 卒業2日前に増田と2人きりで話しましたが外見の嫉妬と妬みで許せなくていじめたと増田は告白しました。教師が美人な生徒を嫉妬していじめるのは最低行為です。 |
卒業式: | デジタルアルバム |
卒業式: | 人数が少ないので卒業証書は全員、名前を呼ばれて前で校長先生から直接受け取ることができます |
卒業式: | 今年ついに卒業だ… |
卒業式: | 卒業生と在校生が歌を歌って気持ちの交換 |
卒業式: | 何で泣くのかな~ |
卒業式: | 2017年の卒業生です。私卒業式で泣きたかったのに泣かなかった。それが凄く悲しくて虚しくて忘れられない。隣にいた男の子も普段はそんな顔しないのにウルってしててほんとに悲しいんだなって思った。その夜枕がびっちょびちょになるまで泣きました。みんなと一緒に泣きたかったなぁ。ほんとにごめんね、最後まで一緒になれなかったな。 |
卒業式: | 家帰って寝たとこはおぼえてる |
卒業式: | 歌を歌う時に、泣きそうになった。 |
恋: | 恋の物語を紹介します!(私が体験した物語です)当時1年から今まで(2022)ずっと彼一筋でした。ですが、三年の頃その彼が転校することになったのです。この機会しかないと自分は思って、手紙を書きました。しかし、彼の転校が早くなって、彼は姿を消しました。私が落ち込んでいると私の初恋を知っている親友から声をかけられました。「これ、彼があなたにって私に渡してきたの」とくれました。それは、彼からの手紙だったのです。私は家でこっそり一人で読みました。その内容は、{告白}でした。(内容は伝えられません)私はすぐに親友に連絡をして、「彼ってまだここの地域にいるの?」と聞きました。「うん、最後の遊びと言って今日一年生と遊んでたよ」私はすぐに自分の手紙を持って親友に教えられた場所に一緒に行きました。そしたら彼がいました。突然のことで、親友に手紙を渡し、そのまま逃げ去ってしまいました。なぜあんなことをしたんだろうと今でも自分で思います。それから、手紙のやり取りが始まりました。(住所は、手紙に書いていたのでポストに入れて送ってました。)そして、去年(2021)の4年の時に、バレンタインに私は初めて遠くの地域に行き、初めて彼の新居に行きました。すごくお綺麗なマンションでした。今も交際を続けています!!! |
プール: | 夏休みのプール当番がイイ思い出です((o(^∇^)o)) |
恋: | 小3の時、靴箱に金の折り紙に書かれたラブレターが入っていました。(顔真っ赤だった(> |
職員室: | 冬は暖房がきいていてなつは、れいぼうがきいている。 |
図工室: | お前 |
飼育小屋: | 夏休みにはウサギ当番とニワトリ当番がありました。 |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
音楽室: | 小川先生 |
告白: | ずーっと保育園から大好きでした。あなたは優秀で男女なく人気者だったから影からこっそり見ていただけでした。保育園時代は、良く家に遊びに行ったけど、何も話せず、あなたの背中と笑顔を見ていた記憶が今でも残っています。さりげない優しさをありがとう。 |
校庭: | 乾燥して風が強いとスプリンクラーをやって最初はワーっと遊んでたけどいつしか遊ぶの禁止になった。あの水を切る「パシュパシュ」って音が懐かしい。 |