例)卒業式に親友たちと別れるのが名残惜しかったです。 |
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感謝 謝罪 告白卒業式: | すべり止めの有名私大の合格は決めていたが、“本命”の国立大の二次試験が間近という状況ゆえ、当初は余り感傷的にはならなかった。しかしある一場面がそれを変えるきっかけに…。朝の登校時から粛々と式典への段取りが進められて廊下整列を終えた時に、体調が優れずも証書を授与される(初代)校長先生が横を通られ、我々一人ひとりに『おはよう。今日は卒業おめでとう。』と声を掛けられたのだ。その温かい言葉を境にどんどん“名残惜しく”なった。その上で卒業式では、この3年間の不良振りにも関わらずここまで来れたことへの謝罪と感謝の気持ちや、4月から大学生に相応しい成長を遂げねばとの“決意“から、身が引き締まる思いになった。そして式後にはこのHRをもってクラスメイトが全国の大学に散らばっていく淋しさをも覚えたが、いつか再会して「しっかりやっている姿」を見せられる日が来るまで頑張らねばと思いつつ母校から旅立った。(卒業から28年。まだ5名の仲間と再会できていない。) |
卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、薫英の同級生たちの中では、母親から、子供扱いされている人は、私一人だけです。母親から、子供扱いされる度に、薫英の同級生の人たちの顔を、思い出し、イライラし、金曜日は、仕事を、待つ事が、多く、金曜日には、仕事を、待っている時に、母親から、子供扱いされる事を、思い出したりする事と薫英の同級生の人たちの顔を、思い出したりする事が、絡まってしまい、心の不調を、訴えるように、なり、令和元年12月27日から、金曜日には、暫く、仕事に、行けなくなりました。 |
卒業式: | 卒業式に丹尾真斗という架空の人物がいたとかいなかったとか |
卒業式: | 卒業式は30分ほどで終わった。学園紛争があり、職員室閉鎖、造反教師が3人程先導して、授業も1か月ほど止まり、問題な生徒を早く追っ払うような、卒業式であった。 |
卒業式: | 当時バブル絶頂期だったので、就職も内定していてとりあえず入社式が東京だったのでワクワクしていた記憶あり |
卒業式: | 卒業式での仮装は話題。毎年、北海道の夕方のニュースで紹介されるほどで、毎年有名人の格好や、アニメーションのキャラクターなど、人気のキャラクターに扮し話題となり、有名。 |
卒業式: | 運動会 |
卒業式: | 毎年校庭を暴走族が走ってた気がする |
卒業式: | 式に出たかったな(T_T) |
卒業式: | 1983年そ |
プール: | 豊田方が全国優勝目指して練習してましたね、 鈴木先生 面白かったな、 |
告白: | 好きな人はいたなぁ。40年前のことだから忘れかけていたけど |
職員室: | B棟2階。 |
トイレ: | 臭いんだよ。なんでいつもトイレットペーパーないんだよ。 |
体育館: | 大塚先生 |
下駄箱: | 1人ずつロッカーあったんですが、教科書辞典入れになっていましたね。夜間高校もあったので教室には置けなくて。 |
告白: | 今でも |
文化祭: | みづのきマジック |
文化祭: | ホンジャマカ、爆笑問題来たんだよ‼️ |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |