例)図書室にはすっごいでっかい腹ペコ青虫の本がありました。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白図書室: | めちゃ本がある |
図書室: | 図書室の図があって、どこに何が置いてあるのか、すぐに分かった! |
図書室: | 高野小森野の郷土誌は図書室にあります |
図書室: | マンガはだしのゲンのマンガがあって全巻読みあさりました。 |
図書室: | レイトン教授がなかなか人気だった。 |
図書室: | 自分が入学する直前に新築された校舎で、図書室もやたら綺麗で立派な作りだった。校長先生が市内で一番大きい図書館だと言っていた。絨毯の上で先生と生徒が相撲をとっていた。二階部分に古い時計があったが触ると呪われると言い出す女子がいた。 |
図書室: | 図書室で読んだ源平盛衰記、歴史漫画だったような気がするが藤原三代のミイラが眠る中尊寺の金堂をいつか訪れたいと思いながら、喜寿が近づいた今日まで叶っていない。 |
図書室: | 椋鳩十シリーズやドリトル先生、シャーロックの本が沢山あって、読書タイムに図書室に行くのが楽しみだった。 |
図書室: | 放課後よく図書室に行ってました。真ん中の椅子に座ってのんびり読むのが好きでした |
図書室: | 北西の角近くに独立した建物で渡り廊下で校舎と繋がっていました。入り口近くには貸し出しカードが入ったケースがありました。 |
告白: | RSくん実は小5のときから大好きでした。今も現在進行形で大好きです笑。 |
謝罪: | 私の子どもは、ひどいイジメに合いました。先生方も面倒くさかったんでしょうね。 |
怪談: | まだ七砂小が木造校舎だった時の話です。その日は運動会でした。おしっこがしたくなった私は急いでトイレへ。確か今でいうと正門を入って左手あたりにあったと思います。もしかしたら右手かな?50年以上前の事なのでその辺ははっきり覚えていません。当時のトイレは校舎から突き出た感じで設置してあり、校舎の外からも入れるようになっていました。運動会のこの日は皆校舎の外から入っていました。トイレの建物の左右に外から出入りするための戸がありました。私がトイレに入った時は誰もいませんでした。おしっこをしているとトイレの外で赤ちゃんの泣き声がしてきました。弱弱しく可愛い声でずっと泣いています。運動会なので多くの人が来校していたので赤ちゃんが泣いていても不思議ではありません。親があやしている様子はありません。不思議に思い泣き声のする外に出る戸の方へ行くと泣き止み、今度は反対側の外に出る戸の方から聞こえてきます。親が抱っこして歩いているのかと思ったのですが、よくよく考えると赤ちゃんを抱っこしたまま一瞬で10mほど移動したことになります。今度はそちらの戸の方へ向かっていくと泣き止み、また反対の戸の方から聞こえてきました。もうこの時点で何かおかしいと思った私は外へ出る戸を開けることができなくなりました。もし開けたらとんでもない怖いことが起こるのではないかと思ったのです。「どうしよう。」と思っていたら突然戸が開き「漏れるー。」と言いながら何人かの上級生が駆け込んできました。「たすかった。」と上級生と入れ違いに思い急いで外へ飛び出しました。「あれは何だったのか?」4歳年上の姉にそのことを話したら「あっ、それ有名な話。出るらしいよ。友達に泣き声聞いたっていう子何人かいるし。」とのこと。深川生まれで第二砂町小学校出身(古い方の二砂小ね)の父にもこの話をすると「ああ、東京大空襲の時とかずいぶん死んだからな。お父さんの友達もたくさん死んだ。空襲のたびに友達いなくなるんだよ。その時死んだ赤ちゃんがお母さん恋しくて泣いているのかもな。」なんてこと言うものだから私は二度とそのトイレは利用しませんでした。そしてだんだんと今の鉄筋校舎に代わっていったのです。確かプールの位置だけは昔と同じ場所だと思います。プールの怪談っていうのもあるんですよ。ふふ・・・ |
職員室: | 谷野先生 |
校庭: | ラインカーで白線描くとぐにょぐにょに。先生達のスキルヤバいよな。 |
音楽室: | 校歌の2番歌わなかった理由誰かしらん? |
音楽室: | 壁に毎年の栄区音楽会の写真が飾られていました。 |
校庭: | この小学校6年生だった昭和20年代後半のこと、男子は他の小学校とたびたびソフトボールの試合がおこなわれた。(女子はきっとドッジボールの試合があったのだろうと思うが思い出せない)。当時、谷一は守備もすごくうまい選手が多かったが、打撃ではすごい選手がいた。S君、I君である。彼らはスターだった。とんでもなく遠くにホームランを打つので、相手校の先生(監督)はすべてボール球をなげるよう指示していた。それでも彼らは踏み込んで遠くに飛ばすので、その次には、すべてゴロを投げ、フォアボールとして一塁に出していた。こんなことをしても、我々に勝てるわけないよと笑いながら、応援していた。その日の試合は、接戦ではあったが、結果的に負けてしまい、本当にがっかりし、とても悲しかった。家に帰りながら思ったことは、対等に立ち向かえない相手には、作戦というものが必要なのだということであった。谷一ホームページ見つけて、校庭について何か投稿しようと思ったとき、こんな些細な出来事を思いだした。 |
職員室: | そゆうのはいりません。」 |
記録: | 高田直樹先生の時に、誰が忘れ物をするとペナルティを課せられました。ノートに漢字を書いて提出しろと言われました。 |