埼玉県立児玉白楊高等学校の屋上

懐かしい埼玉県立児玉白楊高等学校の記憶を共有するページです。

埼玉県立児玉白楊高等学校の屋上

埼玉県立児玉白楊高等学校の屋上での色褪せない記憶をつづってください懐かしい思い出を是非皆さんと共有してください。例えば屋上でやった今だから言える秘密やなぜかそこにあった物、噂になっていた怖い話など教えてください。

埼玉県立児玉白楊高等学校
屋上の思い出

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例)夜になると屋上にお化けが出るといううわさがありました。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

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想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の屋上での記憶

屋上での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 屋上での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
屋上昼休みにボールぶつけを楽しんだよね!卓球部の地獄のしごき、「ゴキブリ」やらされたよね?
屋上屋上あったかな!?
屋上だって34年前の話しだよ。ケラケラ。
屋上軟式野球部の部員でしたか、体育間下で暗い中でしてたのが僕らの時代です。入門すると、少なからずの広場を超え、校舎を覗き、ようやく広場へ、左半分は校舎下、右は運動場でしたがそちらは『テニス、バスケ』でしたよ。
屋上宇宙じん(宇宙塵)を採りましたね(´- `*)
屋上高校3年生の冬に全クラスともに写真撮影したので卒業アルバムに載りました。これも良い思い出です。
屋上タバコ吸うだけの場所だから行けない❗
屋上昔(女子高)のころは屋上にプールがあった。現在は老朽化のため使用禁止で使えなくなっている。2年生のころの教室の横に階段があり、鎖が警察の立入禁止のロープのように張ってあり、真ん中に重たい石の標識のようなものが置いてあった。
屋上屋上に上がったことない。鍵かかってた (・・?
屋上下駄箱のとこでパン売ってたよね~。 来年5月、同窓会が消滅します。神奈川県立横浜日野高等学校のHPとFaceBook見てね。

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
感謝赤点ばかりだったのにみはなさず、家に来てくれてありがとう御座います。留年免れました。
記録休みすぎて単位落としたのか?赤点取りすぎてたのか知らんけど進級出来ないのが数人いてダブってて歳違うのに同級生になってるのが数人いた
感謝昭和33年遅生まれです。1年3組、2年3組、3年4組でした。今ご健在かどうか、分かりませんが、1年、2年の時の担任で、地学を教わりました渡辺(康)先生、3年の時の担任で、日本史を教わりました、渡辺(邦)先生、またその他の先生方及び、同級生の皆様、色々ご迷惑をおかけしました。すみません。ありがとうございます。また再会できましたら嬉しいです。
校庭草ぼうぼう
教室ある雨の日、五階のとある教室で雨漏りしてて笑いました笑
プールプール何て無いよ。
音楽室音楽室というものはなく、視聴覚室だった
校庭校庭狭かったね。 プールもなかった。
プール女子のプールの時間のあるある 着替え中に可愛い下着自慢笑
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!


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