香川県立三本松高等学校引田分校の屋上

懐かしい香川県立三本松高等学校引田分校の記憶を共有するページです。

香川県立三本松高等学校引田分校の屋上

香川県立三本松高等学校引田分校の屋上での懐かしい記憶を書き込んでください。古き良き想い出をぜび皆さんと共有してください。例えば屋上でやった今だから言える秘密やなぜかそこにあった物、噂になっていた怖い話など教えてください。

香川県立三本松高等学校引田分校
屋上の思い出

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例)夜になると屋上にお化けが出るといううわさがありました。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

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想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の屋上での記憶

屋上での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 屋上での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
屋上たまに屋上に行ける
屋上昔(女子高)のころは屋上にプールがあった。現在は老朽化のため使用禁止で使えなくなっている。2年生のころの教室の横に階段があり、鎖が警察の立入禁止のロープのように張ってあり、真ん中に重たい石の標識のようなものが置いてあった。
屋上屋上でよく、購買で買ったパンと自販機で買ったフルーツじゅうす飲食してました。そのあとみんなジュースの紙パックふんずけてパンパンならしてました。昭和57
屋上屋上で友達と昼弁当を食べたり、校庭で遊ぶ人を見るのが好きでした。
屋上合唱祭の練習をしました。外で歌うと響かないから今まで以上に声を出して。真っ暗になるまで練習した記憶があります。
屋上屋上へ行く階段に扉があって、鍵がかかっていて行けなかった。でも1回だけ空いていたことがあって、友達3人で入ってみたら階段の上の方にガムテープでぐるぐる巻きにされた首のない人形みたいなのが置いてあって、怖くて戻ってきた。
屋上屋上あると思ったら、ありませんでした。
屋上屋上は体育館が最上階だからない、になるんじゃないかな?
屋上屋上は無いけど、最上階の7階にはテラスっぽいスペースがあったような気がする。と言っても特に何も無いし施錠されていて行けなかったと思う。
屋上プール

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
告白足立麻実さん、あなたを幸せにしたいです。あなたが運命の人だと信じてやみません。
校庭先生がいつも花壇の世話をしていた。生徒へのストレスを花で癒してたのかな?
トイレ4F女子トイレの奥から3番目、ここでわたしの息子は生を受けました。
音楽室丹尾真斗という架空の生徒が出るといううわさがありました。
教室校舎の外壁が青磁色の便所タイルでした。
怪談↓マジですか?
図書室エアコンの効きが良く、よく涼みにいきました。
伝説入学式卒業式本人は出ず親はいた東校卒業人のせいで学ランなくなったらしい
下駄箱1年生だけ校舎が違って、下駄箱があったと思うんだけど、違った?
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!


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