例)トイレには花子さんが出るそうです。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白怪談: | みのみあきんじろうに落書きすると、呪われる |
怪談: | 練炭?を保管していた地下室の階段は、普段は12段だが、夜になると13段に増えていて、13段目は実は猫なんだよ、キャー!!...これどこが怖かったんだろう |
怪談: | 理科室の前のガイコツが夜に動くそうです。 |
怪談: | 花子さん |
怪談: | 宿泊学習だったかな、イベントの一つとして夜はマイムマイムを皆んなが踊ろうという話になっていた。私も大好きで皆んな元気よくとても盛り上がって、その時に先生方が思い出として皆んなの写真を撮っていた。楽しい無事宿泊学習は終わった。後日、先生が撮った写真を写真屋さんに注文するから各自欲しい写真がある人はお金を封筒の中に入れて出してね。そう言われた。廊下には撮った写真が大きな紙に全て印刷されており、私も他の子も欲しい写真を見つけるために見ていた。その時、私は見てしまった。あの夜皆んなで楽しく踊り写真に笑顔でこちらに顔を向けていたのに、丁度踊っていた2人の間の真後ろに写り込むかのように青白い手がピースを作っていた。他の皆んなは健康な小麦色の肌をしているのはに確実に1人だけ肌の色が違う。しかも手首から下はなく、その手だけがただぼうっと浮いていた。見た瞬間に怖くなり、友達もお化けだと騒いでいる。もちろん、私はお化けが苦手なのでその写真は注文しなかった。今日高校の友達とそういう話になったので記念に投下。あの時、写真を注文していればもうちょっとネタに出来たかなと思う笑他にも1年生の教室の廊下の天井に数歩続いた足跡があったりと中々癖が強い学校だが、そんな記憶も今では懐かしい。 |
怪談: | 北校舎3階の女子トイレで3番目の扉を2回ノックすると花子さんが無言でトイレから出てきてトイレの窓から自分と一緒に飛び降りようとする。対処法は『ごめんね』と大声で叫ぶことです。 |
怪談: | 夜8時と深夜2時の2回に理科室の骸骨が動き出し獲物を探しづけている |
怪談: | こんにちは。僕は清和小児童のyotuba(偽名)です。今日、ピアノが鳴っていてうるさいな。と言いながら音楽室、視聴覚室にピアノがあるので注意したところ、まず ツズク |
怪談: | ymmのメガネはどうしたのかと聞くと、公園前についてから女どうしのケンカになってymmをぶっ飛ばしてから転がったメガネを折って遠くに投げたらしい。あれから何時間メガネメガネ状態になっていたんだろう。tnkさんはすべすべのつるつるでぼいんで女神のようだった。でも誰かに見つかったらやばい。お巡りさんに捕まっちゃう。とりあえずアスレチック公園の中の遊具の陰に二人隠れた。 |
怪談: | 人体模型が動くらしい |
体育館: | 体育館前にコイいました!壁や手叩くと口開けて餌待ち!懐かしいなあ |
飼育小屋: | 飼育小屋 |
恋: | 保育園の頃に、いじめっ子の体の大きな女の子から守ってくれた男の子が大好きで、私の憧れのヒーローです。大人になって一度だけ見かけたけど恥ずかしくて消えをかけらず黙って素通りしました。会ってみたいなーお礼が言いたいです。 |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
告白: | 今から、買い物に行く。 |
教室: | いい机です |
音楽室: | ドラムあり |
教室: | カーテン裏でクラスメイトとキスしてた笑 |
トイレ: | 今はもうトイレ工事して綺麗になってる |
保健室: | 南垣内先生というちょっと怖いけど、生徒のことを思ってくれる名物先生がいらっしゃいました。生徒からみるとおばあちゃんみたいだったけど今思うとそんな歳ではなかったのかも。ミナミガイト先生懐かしい! |