例)音楽室のベートーヴェンは夜動くそうです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白怪談: | 夜になると光が出て来ます |
怪談: | 怪談なんてない説m(。≧Д≦。)m |
怪談: | やばい |
怪談: | 看護婦の幽霊 |
怪談: | 山の手小学校に居た時別の異世界へいって、そこの小学校を卒業した |
怪談: | ガチで見たくない |
怪談: | 数人で図書室の近くを歩いていたところ図書室内に小さな女の子が体育座りしていて夜も遅いし低学年の子は部活もなにもないのでいないはずなのですが… |
怪談: | 4時44分に屋上へ行くとおかっぱの女の子がいるかも |
怪談: | 奥の方の階段(2階あたり?)に手形に見える跡があった気がする |
怪談: | 私は中に誰かいることが分かり、ノックだけ返されたので友達ではなく他学年なのかなと思いました。他学年なら何年生の子なんだろう。そう考えていると鍵が開いていることに気づきました。中で何かあったのだろうかそう思いほんとに大丈夫〜?返事ないなら開けちゃうよ〜???と言いました。すると何も帰ってきませんでした。私は心配しているのに無視するとかないわとか思いつつドア開けるねーと一言だけ言いドアをそっと開けました。すると誰もいなかったのです。もちろんその他のトイレにも人はおらず出るとしても私がドアの前にいたので出たら直ぐに分かります。その事に私はゾッとしそして既視感を覚えました。その時に2年生の頃にあった出来事を思い出したのです。その時後ろから微かにねぇと聞こえた気がしました。私はその瞬間図工室に走って戻りました。卒業してしまった今ではあれはなんだったのかどうして2回も私の前に現れたのかは分かりませんが一つだけ分かっている事は、二度と七砂の2階の図工室前のトイレを使うことはないということだけでした。皆さんも気をつけてください。彼女はもしかしたらまだ、誰かを待っているかもしれません。鍵の開いたトイレで |
給食: | ぼくにとって給食は、食べるほうよりも、給食当番のほうにうれしい思い出がある。ぼくは給食当番になった時は、いつも張り切ってやっていた。ぼくは障害があって右手の人差し指、中指、薬指が欠損しているけど、5年生の11月頃、給食当番のおかず係になって1ヶ月ずっと1階の給食室から3階の5年3組の教室までクラス全員のおかずを運んでいた。そして、1人ずつ食器におかずを入れる係を担当していた。担任の先生もいい先生で、「O君は右手に障害があっても、給食当番もきちんとこなして本当によくやっている。」とほめて下さった。そしてクラスみんなの前で「今月の給食当番のおかず係はO君や。O君は右手に障害があるけど、よく頑張っとるんや。今月みんなは、そのO君が食器に入れてくれたおかずを食べとるんや。みんな、O君に感謝しなさい。」と言って下さった事があって、本当にうれしかった。 |
飼育小屋: | 夏休みのお世話大変だったなあ |
職員室: | 先生同士で、仲が良いのか、悪いのかが、わかりました。 |
図工室: | 金魚の餌の赤虫は味がしなかった |
伝説: | 4-3の先生が個人情報漏らした |
プール: | シャワーの水が冷たすぎて地獄のシャワーだと呼んでいました。 |
校庭: | 西門の南側には円形の回線塔が北側には鉄製の吊り革の様な回線塔がありました。西側の土手の下には丸太を寝かした平行棒がありました。5メートル位の1本橋です。南側には西から高鉄棒、ジャングルジム、低から中位の高さの鉄棒が、砂場があり、少なくなってしまうので毎年、御幸が浜に砂をとりに |
プール: | 当時プールはなかったので、前の川で水泳の授業をしてました。 |
恋: | 50年以上昔の話です。 彼の名前は 直人君。 爽やかで、優しく スポーツ万能の少年でした。 私には、2年下の弟が、いたのですが‥ 自分の弟だって可愛がってくれました。 彼が、好きでした。 でも、途中で彼は転校してしまって 自分の気持ちを伝える事が、出来ませんでした。 後から 聞いたのは、彼も私の事が好きだった?みたいなのです。 彼に会ってみたい。 弟の名前は、哲弥です。 |
教室: | 今では小学校でも英語を学ぶ時代になっているが、私が5年生だった頃はせいぜいローマ字を習う程度でした。なぜだかわからなかったが ローマ字は担任の先生ではなく怖い小島先生に教わった。いつも竹のムチを持ち、ローマ字の文を読めない生徒がいると、オイ兄ちゃんどうしたんだと言って机をムチでたたくのが常だった。皆が怖がり、ローマ字の文をいやおうなしに覚えさせられたこと思い出す。それだからといって中学校に入ってから、英語が出来たかというと、そうでもなかったような気がする。しかしアルファベットを早く読むのには多少役に立ったのだろうと思っている。あの頃は外人なんてほとんど周りにはいない時代だった。 |