例)トイレには花子さんが出るそうです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白怪談: | 私が体験した話です私話絵をかくのが大好きでみんな外で遊んでいるのに私と先生しかいませんでした絵をかいて遊んでいたらわたしわきをくがないのですがせんせいによると暗い色鉛筆で絵を描いていたらしいですそしてきもちわるいえをかいたそうきかされましたもしもおんなじようなたいけんをしてっらっしゃるかたがいましたらおへんぎください |
怪談: | さんじ |
怪談: | そりゃあそうだ |
怪談: | これは七不思議でも怖い話でもなんでもありません。そもそも本当かも分かりません。全国にも言い伝えられているかもしれません。ちょっと前の話です。私は、上靴を学校に忘れてきた事に気づきました。時間は夕方頃。私は学校に戻って取りに行きました。なんとか上靴を見つけ、帰ろうとすると、ふと、階段に誰かがいるのを見つけました。この学校では見かけない子だったので転校生だと思って「誰?」と声をかけてみました。すると、彼女の首がいきなりずろん、と取れて、下駄箱に落ちてきました。ひっ、と思わず声が漏れました。よく見ると、彼女の目は無くて、黒い2つの穴がぽっかり空いている状態でした。私は、上靴をしっかり持って、全速力で家に帰りました。以後、彼女が現れることはありませんでした。 |
怪談: | 図工室から手を出すと落ちて死ぬらしい |
怪談: | 6年1組の教室 |
怪談: | たすけて |
怪談: | 校庭にある砂場?の下には死体が埋まっているらしいです… |
怪談: | 体育館のしたには座敷わらしがいるという噂が2年の頃よく言われていた |
怪談: | 実際に僕が体験した話なのですが、掃除の時間に当時僕の担当はトイレだったんです。で、僕以外に田島(仮)クンがいたんですけど僕は教室に行って戻ってこない田島を呼びに行ったんですけど戻ったら田島がいたんですよ。「なんだかくれてたのかと言ったら」田島が「個室に入ったじゃないか」って言いだして僕は教室に田島を探しに行ったのに個室に入ることは不可能でした。後日話を聞くと田島は一歩もトイレから出てなくてずっと水道を洗ってたらしく途中で僕が個室に入って出てこないから開けたらだれもいなくてそのタイミングでぼくがトイレに入ってきたらしいです。もちろん僕は個室に入っていないしそもそも田島は最初の五分くらいしかトイレにいなかったのにずっといたといいはっています |
保健室: | 一人になるところされる |
運動会: | 給食の歌が忘れられない |
図書室: | 六年生が学習発表会ではだしのゲンやってから本即売り切れだったよね |
図工室: | 木材を切って箱を作ったことは覚えてる。図工の授業が懐かしい |
恋: | 小川りのさんや岸下さんが好きでした死ぬまで忘れません |
教室: | 去年の6の2ではいじめがあったwww |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
校庭: | 小学校5年の頃だったと思うが、郡内地方に時津風部屋の大相撲の巡業があり、我、小学校にも土俵がつくられ当時横綱の鏡里や山梨出身の甲斐の山がやって来た。朝の稽古も見た。土俵上で行う稽古は幕内や十両力士であった。新人や序の口に近い力士は,当時小さな溶岩のかけらが出たり転がっている校庭で稽古していた。兄弟子に何度も何度もぶつかって転がされ続け、体に血をにじませていた。すさまじい稽古だった。見ていた女子などはかわいそうだと声を上げていた。力士はこのような厳しい稽古により涙を流しながら強くなっているのかと思った。その後校庭や砂場で相撲とるのがはやったが僕はあまり強くはなかった。あの時転がされていた力士はその後強くなったのであろうか。 |
職員室: | いいよねー |
運動会: | 運動会で玉入れをやったのを覚えています。 |