方谷學舎高等学校の怪談

方谷學舎高等学校に伝わる怪談をする共有するページです。

方谷學舎高等学校の怪談

方谷學舎高等学校古くから伝わる学校の七不思議や恐ろしい話、先生や先輩から聞いた不思議な話など、この学校にだけ伝わる怪談話をみんなで共有し、末永く伝えていきましょう。方谷學舎高校の怖い話、怪談話を知っている人はどんなささいな小話でもよいので是非教えてください。

方谷學舎高等学校
怪談話

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例)音楽室のベートーヴェンは夜動くそうです。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の怪談での記憶

怪談での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 怪談での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
怪談ビスで扉が固定されてる開かずの寮室あったよな
怪談保健室で寝ると高確率で金縛りにあったり悪夢を見ました
怪談閉鎖されたトイレ。 入学した時からベニヤ板で閉ざされていたトイレ。男子か女子かは覚えていませんが、当時は「故障でもしてるんかな?」程度に思っていました。 その後、先輩達に話を聞いてみたところ、「あそこのトイレで自殺した生徒がいたらしい」とか、「ストレスで病んでた先生が自殺した」等の噂を耳にしました。 結局、その事の真偽は明らかになってはいませんが、数世代後の後輩に聞いてみても、同じ様な風に伝えられているらしいです。 もうすぐで廃校になってしまう島本高校。 その謎を解いて欲しいですね。
怪談24:00を過ぎても生徒がいたら中村さんの銅像が動きその生徒を脅かしに来る
怪談創成の七不思議ってあったけどその当時は怖かった!
怪談夜1年のフロアにあるトイレの鏡と手鏡を合わせ鏡にするとなにかが起きる。 電気を消すとより効果的
怪談音楽室がある5階で友達数人で遊びながら動画を撮っていた所、見返したら女子トイレに男の人の影がはっきり写っていた。
怪談玉丘寮には優しい幽霊がいる
怪談『7年目の恐怖』 勤続年数7年に達すると非正規雇用の教師を正社員にしなくてはならない為、その前に殆どが解雇される。その解雇された教師たちの怨念が形を持ち、午前午後七時の一時間の間学校を彷徨っている。主に講師室と校長室近くにいる事が多い。もし襲われたら「先生の授業評価、全部高評価にしました!」と叫ぶ事で助かる。
怪談文理高校じゃないけど文理の野球部の権力が学校の校長より上ってゆう都市伝説聞いてビビった

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
怪談うぃん
音楽室音楽担当の先生のあだ名が「(林家)ぺー」だった。
怪談在校中聞いた事
教室セミやらされた人います?
今年の漢字は、“令”❗愛する柏倉美令さんの年だぜ❗
文化祭高3の時、急接近してきた女子がいたなぁ、、、
体育館私の在校中はバレー部で木造体育館の天井梁にいいトス上げるたび ぶつかり先輩によく怒られてました。ワンマンレシーブきつかったな~。
教室新井の馬鹿者がうざかった。付属の仲間は賢かった。
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!
伝説生徒会長が壇上でスピーチする時マイクを使わずに、大声で「私は豚が好きです」と言ったよう。


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