例)トイレには花子さんが出るそうです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白怪談: | 音楽室の絵が夜になったら絵から飛び出して朝に学校の先生が来るまで走り続けていている |
怪談: | 1980年代卒です。かなり昔の話で記憶も定かではないのですが遠足?にて(たしか薬師寺六角堂前で)集合写真を撮ったのですが、六角堂右手の林のあたりに宙に浮いてニヤけた顔のお地蔵さんがかなりハッキリと映っていました。 |
怪談: | 2年生の時AIさんと、MYさんが、先生にめっちゃべたべたしていてキスをしようとしていた。いいなぁと思った |
怪談: | 夜になったらPTA室の横のトイレから声が聞こえたり、水が流れる音がする。 |
怪談: | 屋上に出れる階段に「棒人間」がおってある友達は3人で遊んでる。ある友達は1人で遊んでる。とかある |
怪談: | 体育館の絵の話は代々語り継がれてる |
怪談: | 理科室の人体模型は夜歩くそうです。 |
怪談: | 夜、足音などを聞いたという生徒が多かったそうです。 |
怪談: | 私が入学した頃は木造の校舎だけでしたが、4年生のころ鉄筋の校舎ができました。3階建てでしたが、なぜか4階へとつづくような壁で塞がれていて入れない階段室がありました。ある日クラスで屋上へ行くことがありました。その時、ある友人が屋上の塀を乗り越えて窓が開いていたその階段室へと入りました。一歩間違えば転落する危険がありましたが、彼は無事生還し中の様子を話してくれました。そこには小さな机が一つあり、そのうえに線香立がおいてあったそうです。噂では工事中転落死した人がいて、4階建てにするところを3階建てに変更になったとのことでした。 |
怪談: | 多目的室に女の子の幽霊が出るという、噂がありました。そこまで信じていなかった私ですが、多目的室の掃除担当になったときに私の友達が急に泣き出しました。落ち着いた後、その子に泣いた理由を聞きました。その理由が「小学2年生くらいの子が窓の外で自分を見て笑っていた。」とのことです。そこまではいいのですが多目的室は2階です。となると、その女の子は宙に浮いていたということになります。座敷わらしかわかりませんが多目的室がとても恐怖に感じていました。 |
プール: | 25メートルプールで、ベルマークで入手したと聞きました。 |
プール: | 学校にプールは無かったので、水泳は椎葉川か大川まで行ったけど、水が冷たかった。 |
卒業式: | 今年ついに卒業だ… |
図工室: | 渡辺章君元気かな |
プール: | たまに蛇が泳ぐ。虫を救う?網がある。 |
プール: | 笑笑 |
校庭: | 昭和50年頃の校舎時代の運動場にはプールとの間に大きなスタンドがあり、見晴らしが良かった。運動場の周りには登り棒、回せん塔、鉄棒、ごみ焼き場、平和の像があったよ。 |
校庭: | 三大桜という見事な桜の木がたっていた。 |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
告白: | Kくん、本当はずっと好きでした。Rちゃんのことが好きなんだろうな〜と思っていたけど、諦めきれませんでした。 |