幕別町立新和小学校の怪談

幕別町立新和小学校に伝わる怪談をする共有するページです。

幕別町立新和小学校の怪談

幕別町立新和小学校古くから伝わる学校の七不思議や恐ろしい話、先生や先輩から聞いた不思議な話など、この学校にだけ伝わる怪談話をみんなで共有し、末永く伝えていきましょう。新和小学校の怖い話、怪談話を知っている人はどんなささいな小話でもよいので是非教えてください。

幕別町立新和小学校
怪談話

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例)音楽室のベートーヴェンは夜動くそうです。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

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想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の小学校の怪談での記憶

怪談での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 怪談での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
怪談山の手小学校に居た時、聖天使にあった天界へいって 抱きかかえられて神の国の大きな宇宙の太陽を優しく見せてもらった
怪談学校の帰り道にある建設会社の入り口から顔を出しているセントバーナードに消しゴムをあげるとペロリと食べるもんだから通る度にあげていたらある日を境に顔をださなくなった
怪談トイレにキンちゃん、モンちゃんがいる。母親に聞くと、学校建築中に亡くなった方の名前ではなやろか?
怪談新校舎の一階の図工室には夜中の0時に昔そこにあった旧校舎でいじめられていた女の子の霊がでるらしいよ
怪談出て来てほしくないよー
怪談異世界生活
怪談たすけて
怪談トイレがポットン便所で夜中になると中から手が出て来るとかクランドの脇柳の木があって女の人がたってるとかあった
怪談新校舎二階男子トイレのドアは真夜中バタンバタンと開いて閉まるそうです
怪談ようれい

小学校での他の場所の記憶

他の小学校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
下駄箱バレンタインの時は、手紙付きで、チョコがあった人も居たwww
教室いつも騒いでばっかりの6-1今までほんとにありがとう! いい思い出になった… 卒業後みんなでカラオケに行ったね!楽しかった!また集まれるといいな
1日で別れたカップル
告白待ってました。
運動会赤組と白組に分かれて6年間行われました。例の通り6年生にある組体操は練習頑張った記憶があります。勝ち負け関係なく保護者も応援してくれて楽しかったです。よーいドンの音が少しびくっとして怖かったです笑
屋上そもそも入っちゃいけないルールがありました
職員室小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。
屋上平屋でしたね
校庭よくみんなと短い時間の中ドッジしたりして楽しかったよね
教室(2014年卒)夏休み明けのフローリングは大変オイリーでしたね(笑)


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