例)音楽室のベートーヴェンは夜動くそうです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白怪談: | 理科室にあった人間の模型は真夜中になると校内を歩いていたソウデス。 |
怪談: | 夜になったらPTA室の横のトイレから声が聞こえたり、水が流れる音がする。 |
怪談: | たすけて |
怪談: | あれは小学6年生の頃の話しです。プールが苦手だった自分は、よく夏の補習に出させられました。そんなある時、自分の通学路に人形をくわえた野犬がいたのです。野生の犬はウイルスをもつと |
怪談: | 人体模型が動くらしい |
怪談: | 理科室の前のガイコツが夜に動くそうです。 |
怪談: | 校舎の下は元々戦争で亡くなった人達のお墓だったそうです |
怪談: | 記憶が正しければあそこは元豚小屋で、豚の霊がでるとか。あとは夜パソコン室のパソコンが勝手に電源入ってると当時いた先生が話していた |
怪談: | 昔ここの運動場でかくれんぼした子の一人がずっと見つからずに死んだんだって。だから第二ではかくれんぼ禁止なの。(ほんとか知らないけど) |
怪談: | 英語の部屋の前にある女子トイレで、赤い影を見た。 |
プール: | とにかく汚い。ハチとか浮いてる。あとすぐろ過器壊れる! |
教室: | エアコンが付きました |
感謝: | 田井小学校の先生達、6年間、有難うございました。 |
トイレ: | トイレには男女のところにトイレの花子さんがいて夜に話しかけたら返事をしてそれを聞いた人は倒れてしまう。 |
伝説: | まだこのサイトに入る人、居たのか。頑張れよ |
理科室: | 昔、すずめ蜂の巣を、取りに行き、理科室に展示してもらいましたね。今も、あるのでしょうか?20~30センチ位です。野澤 剛一です。 |
屋上: | 新館屋上に図工の写生か何かで上がった記憶。その頃は勿論、見えるのは西松建設の資材置き場で関西スーパーなどは無くて耳を澄ませると時折列車の走行音が聞こえるほど。新幹線ではないよ。 |
音楽室: | 給食室とかある側の音楽室は寒かったし机とか古いし、三年くらいまでそこ使ってたけど嫌だったなぁ。 校舎の曲がり角にある方は、あったかいし、ちょうど四年生から音楽の先生がすごくいい人になって音楽大好きになった。またみんなで新世界演奏したい。 みんな自分のこと覚えてるかなぁ |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
恋: | 好きだけど言えなかった |