例)大人になった今、あの時先生が叱ってくれた意味がわかりました。 ありがとうございます! |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白感謝: | なかなか言えなかったけど、ここで言う。ありがとう。 |
感謝: | 私も昭和52年卒業生です。入学式は水疱瘡で出席できませんでした。みんなに1週間ほど出遅れた初登校の日、昇降口で笑顔で優しく出迎えてくれたのが担任の稲田先生でした。心細くて今にも泣き出しそうな自分に親身に寄り添ってくれました。青森出身の色白で美人な先生。58歳になった今でも稲田先生のことを忘れずにいます。とても懐かしいです。どうぞお元気でいらっしゃいますように。 |
感謝: | 菊池麻子さんが亡くなった。残念です、、勉強も出来てスポーツも出来て素晴らしい一人でした。 |
感謝: | 校長先生 |
感謝: | 生徒に優しい島野先生へ 小3の頃、国語の漢字テスト100点とった時褒めてくれて喜びました!そのおかげで漢検6級から準2級までとることが出来てとても最高です。人生の宝物になって勝ち取ったときはすごく嬉しかったです!ありがとうございました! |
感謝: | 芦刈信じ君が、いまどこにいるか、しっているひといますか |
感謝: | 人間の優しさと温もりに触れ合えました! |
感謝: | 八都小がなくなるのが寂しいですがこの栄光な八都小を卒業できて嬉しいです。そして八都136年という長い期間ご苦労様でした。みんなで八都小に乾杯。 |
感謝: | 小学校5年の2学期に東京に転校した藤井謙一です。友達には「けんちゃん」と呼ばれていました。当時の担任は井尻先生でした。できればみんなと尺別小学校と中学校を卒業したかったですね。同級生の湊谷君とは55年ぶりに再会できました。加藤君、桑原君、岩佐君、西村君、相川君等懐かしい友達と会いたいものです。尺別が閉山してかなり経ちますがみんなどうしているのだろうか・・・。懐かしいです。 |
感謝: | いつも本当のことが言えなくて、本当にすいませんでした。これを言っておけばよかったです。本当に大好きです大大大大大好きです!またいつか、会いに行きます。入学式が終わったら行きますから、校庭でずっと待っていてください。アルバムの日、2030年にも来てください!絶対ですよ! |
飼育小屋: | アヒルにかまれると痛かったナア |
体育館: | 今、47~48歳です、笑笑 |
教室: | 中山先生が机蹴ってんの怖かったなぁw |
恋: | 会いたいよ。aさん。 |
体育館: | 劇をした。卒業式には、全員参加。小3くらいの時に新しくなった気がする。シャワー室とかもできてたっけ、、、 |
恋: | 修学旅行の時、一気にカップル増えたのに、1ヶ月後には、前以下になってたww |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
体育館: | みんなで運動する体育館みんなの 頑張る足音が聞こえたなー!懐かしい |
入学式: | ローファーの靴 |
体育館: | 女子バレー部がまぶしい |