例)大人になった今、あの時先生が叱ってくれた意味がわかりました。 ありがとうございます! |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白感謝: | 1970年卒業予定でしたが転校しましたので卒業生では有りませんが担任でした林正直先生お世話になりました、お元気で御健在でしょうか。 |
感謝: | 大川先生、私は、今、茶道部に入部して、楽しい学校生活を送っています。6年1組の皆さん、こんにちは。私は、みんなに、ずっと言い出せなかった事があります。私…実は、障害を持っています。ADHDって言います。だれか、私のコメントに気づいてください… |
感謝: | 家庭科の飯田先生、卒業アルバムの刺繍がうまく行かないところを何度も何度も修正していただいてありがとうございました。先生の授業はとても楽しくて、卒業から40年以上経った今もふとした時に思い出します。 |
感謝: | 自分は49年生まれですが、清水先生とか、佐渡ヶ島出身の川上先生とか、ふぐみたいな佐藤先生とか、今思うといい先生ばかりでした。 |
感謝: | 昭和25年に入学、そして27年7月に小樽色内小学校へ転校しました。北海道では京都弁が通じないため、寂しい時がありました。転校して2学期の中頃、は組の皆さんから、小樽色内小学校のクラス全員に手紙が届きました。は組の皆さんからの京都弁の手紙は、クラスだけでなく、他のクラスにも伝わり、変な言葉を話す児童として見るのではなく、日本各地には方言があることをクラス全員で学びました。 松本先生と皆さんの優しいお気持ちを忘れることができません。 この時の手紙は、職員室でも話題になりました。小樽色内小学校のクラス全員では組の皆さんに返事を出しました。すると、今度はは組の皆さんが描いてくれた絵が届き、クラスは大騒ぎになりました。富裕小学校は組の皆さんが描いてくれた画用紙の大きさにクラスだけではなく、職員室の先生達にも驚きの声が挙がったそうです。当時の小樽では、小学校の低学年生の図画工作の授業では、B4のざら紙に描いていました。高学年からB4の大きさの画用紙に描いていました。富裕小学校は組の皆さんから送られてきた絵は小樽市内の教職員の研修用の資料として発表されました。中学になった時、図画工作の先生から、富裕小学校の図画工作の授業のことを尋ねられ私はその先生から少し丁寧な指導を受けることができました。しかし、その時の手紙と絵は、残念にも中学1年の5月に小樽色内小学校の大火事で焼失してしまいまいました。木造の小学校は、数々の思い出の物は、あっというまに私達が見ている前で燃えてしまいました。あの絵は小樽だけでなく北海道の図画工作の授業や他の授業にも大きな影響を与えたと思います。は組の松本先生やクラスの皆さん、ほんまにおおきに、ありがとうございます。 |
感謝: | 2001年入学の代です。先生方みんな良い先生でした。今でも元気かなとたまに思い出します。久しぶりに函館に行き母校を見るとスーパーマーケットに変わっておりました。。 |
感謝: | 色々教えてくださいありがとうございました |
感謝: | ミウラタカヒロ君、元気 |
感謝: | 1975卒業生でしたが、4年生で転校しました。転校する時担任のH先生 とても素敵な先生でした。今でもずっと忘れません 卒業まで居たかった ありがとうございました。 |
感謝: | 田口先生のあの優しさは忘れられません |
教室: | のびっこだったけど、先生が優しかったよ |
校庭: | 持久走で5位に初めてなれた!!!! |
体育館: | 体育館の下が食堂になっていて、全校生徒みんなで給食を食べていた。 |
校庭: | 校庭は狭すぎて運動会もソフトっボールもできずよくボールをなくしました。 |
トイレ: | 結構多くて、使いやすかったです。 |
下駄箱: | 下駄箱ないです |
運動会: | 運動会ではないのですが、マラソン大会でマラソンコースに家が近い子は途中から家に帰ってしまう子がいた。 |
体育館: | 体育館なんて洒落た呼び方ではなく「講堂」だった。当時、多動で落ち着きがなく所謂「発達障害児」であった自分は担任の中年女性教師から当然の如く嫌われ、田舎特有のキツいいじめの渦中にあっても完全にスルーされていた。そんな中、初めての「学芸会」。クラスの出し物は「花さかじじい」のお芝居だったが、私は裏方すらやらせてもらえず、練習時も校庭に追い出されていた。発表当日、おそらく保護者なども観に来て賑やかな声を聴きつつ、講堂の裏手の百日紅の木にもたれてひたすら時間を潰した。母には学芸会の話はしなかったので、来る事は無かった。こっそりくすねた小道具の、金の折り紙の貼られた紙の小判をためすすがめつ眺めたりして、ただひたすら長い長い暇を潰した。もたれた埃っぽい壁の背中越しに、大勢の拍手と笑い声が響いていた。風が吹くと頭上からひらひらといくらでも舞い散ちて来る細かなフリルの小さな小さな桃色の花弁を、今も鮮明に覚えている。穏やかな日差しの、良く晴れた日だった。 |
怪談: | 階段の黒が鏡で見ると、女の人に見える |
体育館: | 今の体育館が出来た第一卒業生 |